平安朝百鬼夜行

第一話:邂逅ノ一 
〜関口・木場・榎木津〜


「おめぇ、絵が上手いな」

初めて僕に声を掛けたのは検非違使だった。衣装からそれと分かる。

それまで僕は、周囲の事をすっかり失念して土手で風景の写生を描き散らしていたのだ。
鳥や、野原や、空や、木々や・・・。物を言わぬ彼らに囲まれて無心に筆を走らせていた。
世界に溶けて広がり、自我が希薄になっているこの感覚が好きだった。

「・・・・ぇ、あ、ぅ・・・あ、あの」

その突然の静けさを破る甲高く大きな声に自分が何か犯罪行為でも犯したのかと頭が真っ白になる。
心臓の鼓動が喉で聞こえる位に狼狽していた。そんな僕の様子を知ってか知らずか、

「ほれ、風に飛ばされて来たぞ」

と男がぬっと差し出した無骨で大きな手には僕が描いた風景画の習作が数枚。

ああ、描き散らしておいて置いたのが風に飛ばされたのか。
だとするとこの男は風に飛ばされ散らばった絵をわざわざ拾い届けてくれたのだろう。
顔はごつくて怖いが親切な人なのだ、と胡乱な頭で失礼な事を思った。

「あ、あの、ありがとうございます・・・」

受け取り、礼を述べる。顔を見て礼をするのが礼儀なのだろうが、生憎僕は人と目を合わすのが本当に苦手なのだ。それでも一瞬何とか顔を見て、慌てて俯いて礼を述べた。
きっと耳まで真っ赤になっている事だろう。この見窄らしい小男を検非違使はどう思って見ているのだろうか。

「なぁに気にすんな、それより、見てもいいか?」

と、僕の横に雑に積んだ習作の束を指差して言った。

「あ、はぃ、ど、どうぞ。。。。こんなので、よければ・・・」

真っ赤になってやっとこ口に出す。汗がだらだら背中を流れ落ちるのが分かる。
筆を持つ手も汗でびしゃびしゃで、筆が滑り落ちそうだ。ああ、涙が出そうだ。
男はどっかりと僕の横に腰掛け、習作の束をめくりつつ言った。

「俺ぁ検非違使佐の木場ってもんだ。野盗じゃねぇからそう怯えんな。たまたま通りかかったら風で何枚か絵が飛んできてな。拾いながら来たらおめぇが居たって訳だ」

「はぁ・・・」

「絵がな。好きな馴染みが居るんだ」

僕の描いた写生を実際の風景と見比べつつ木場は訥々と語る。

「ぁあ・・・そうなんですか・・・」

僕は、曖昧な返事をしつつその場を凌ごうとしていた。いや、別に僕は何も悪いことをしていないと言う自信も自覚もある。
・・・・でも。他人とこんな近さでしかもこの大柄な男の横で。しかも検非違使佐という肩書きの男の横で。語らうなどと。
只でさえ人馴れしていない脆弱な僕の神経は擦り切れそうだったのだ。

「おめぇの絵、面白いな。気に入ったぜ」

「・・・ぇ」

何度も何度も繰り返し習作の束を見直している。絵が好きな友人が居ると言ったが、実はこの男自身が絵が好きなのかも知れない。
ふんー、などと顎に手をやりつつ真剣に吟味している姿を見ると、何となくそう思ったが、だからと言ってこの男に対する恐怖心が拭える訳でもなく、如何したらいいのか分らずにおろおろしているばかりだった。

「一枚、貰ってもいいかい?」

不意に顔を上げて木場が僕を見て言った。僕は血の気が音を立てて引く思いがしつつも何とか首を上下に振って答えた。

「あ、は、はぃ、ど、どうぞ・・・ど、どれでも・・・」

「いくらだ?」

「え?」

「売りもんだろう?値は幾らだ?」

「い、いえ、あ、あの、差し上げます、ひ、拾って頂いたお礼で、ど、どうぞ」

僕は彼の質問に、この男がこの場を辞するつもりだという事を敏感に感じ取った。希望の光が胸に差し込んだ。この場から立ち去ってもらえるなら今まで描いた絵を全部あげてもいい位だ。

「そうか、じゃあこれを貰ってくぜ」

一枚の絵をこちらに見せる。朱鷺が4羽陣を組んで飛んでいく姿を描いたものだ。自分でも結構気に入っていた。だから、ちょっと安心した。自分でも気に入らない物をタダとはいえ貰われて行くのは絵師の端くれとして、なけなしの誇りが許さないと頭のどこかで遠吠えのように叫んでいたからだ。

「あ、はい・・・どうぞ・・・」

ちら、と顔を見上げる。木場はにっと白い歯を見せて「ありがとよ」と言った。
木場は絵を胸にしまうと立ち上がり、土の付いた裾を払う。しゃんと立った姿を下から見上げる。本当に大きな男だ。

「もう日が暮れる。今度はホントの野盗が出るぞ。そろそろけぇんな」

「は、はいっ・・・!」

我に返って慌てて道具を袋に詰め込む。墨壷をひっくり返して地面を黒く染めたがお構い無しに壷を引っ掴んで袋に突っ込んだ。

「大丈夫かい?先生」やや呆れた感じの声が頭上から降ってくる。

「はっ、はいっ、だだだ大丈夫です・・・っ・・・その、人と話すのが・・・苦手、で・・・っ」

「・・・・あぁ、なるほどな。そいつは邪魔してすまなかったなぁ」

と頭を掻きながら言った。
荷物を纏めて立ち上がると、僕は木場の胸辺りに顔が来る。元々小柄な僕はこの男の前で子どもになった気分になった。
結局、木場は僕を家の近所まで送り届けてくれた。要は、僕の挙動不審さを心配した正義感あふれる検非違使の親切を断りきれなかったのだ。

「じゃあな、絵描きの先生」

肩越しに軽く手を振って去っていく木場の後姿を見ながら、やっと煩わしい人付き合いから開放されたと言う思いと、この男の頑強さのほんの一欠片でもあれば、僕ももう少し生き易かったのだろうかとどこか羨ましく思っていた。

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「修ちゃん!なんだその絵は!!見せたまえ!!」

木場が内裏へ参内し、清涼殿の昼御座(ひのおまし)の御簾の前に鎮座するや否や御簾の奥から素っ頓狂な声が上がった。

「・・・・帝。公の場ですぞ」

木場が声の主を諌める。帝。そう。この素っ頓狂な声の持ち主は。
・・・・この国を統べる帝。最高権力者なのだ。

「やかましい木場修!神たるこの僕にしもやけも夕焼けもあるか!それよりその着物を着た猿はなんだ!?」

本来なら打ん殴ってやりたい所だが、この場でやったら謀反になりかねないのでぐっと堪える。
公僕として忠実な精神が幼馴染への理不尽な怒りを押さえ込んだ。

「・・・猿・・・?」

「そうだその筆を持った猿だ!絵を描いているのか!?」

「ああ、昨日の・・・か」

御簾の奥の男を見据えるようにして思い出したように胸元に入れ込んだ、昨日道端で出会った貧相な小男の絵師から貰い受けた絵を取り出す。元々見せてやるつもりで持って来たのだが、いきなりの帝の言に一瞬何事かと飛んでいたのだった。猿と言うのは、おそらくその絵師の事を指しているのだろう。
幼馴染でありこの国の帝であるこの男は、他人の記憶を見るという不思議な力を持っている。木場の記憶に浮かぶ貧相な小男・・・そういえば名前を聞くのを忘れたと、今思い出す。

「それだそれ!」

言うが早いか、女房が絵を受け取りに来るより早く御簾をがばっと持ち上げてやんごとなき帝が飛び出して来、素早い動作で木場から絵を奪い取った。
色の白い、いや全体的に色素の薄い眉目秀麗な男である。最下層に位置する貧民などは、この男の姿を一目見ただけで目が瞑れると本気で信じているのだ。眩しいと言えば眩しいが、目が潰れるってのは頂けないなと泥だらけで野山も駆け巡った竹馬の友であった木場は内心思っている。

「・・・帝」

その傍若無人さに怒りが頂点に来そうなのを押し堪える。

「・・・帝はよせ」

端麗な顔の帝はそう言うと、片手をあげて人払いをした。
すっと、控えていた侍従や女房たちが下がる。それを確認してどっかりと木場の正面に腰を下ろし、絵を開いた。真にぞんざいな男である。が、其れでも品格を感じるのは天性のものなのだろうか。

「礼二郎・・・まったくおめぇって奴ぁ・・・」

額に右手をやり、脱力しつつ溜息をつく。

「お前こそ何遠慮してるんだ竹馬の友の癖に」

「そういう問題じゃねぇだろう。馬鹿が。昔はどうあれお前は今はな、今上榎木津帝。この国の頂点なんだぞ?下手すりゃ俺は不敬罪でとっくに死罪か良くて島流しだ」

「そう、僕は神だからな。神が良いと言っているんだから問題無いぞ」

「・・・・」はぁ、と木場はため息を付いた。

「所で、この絵を描いた猿は何処に居るのだ?」

「ん?あぁ、羅城門の近くに居を構えているようだが」

じぃ、と目を半目にして木場の後ろを視ていたが、再び絵に視線を戻す。

「うんうんこの絵、面白いな」

「ん、あぁ。上手く描けてる。こいつの絵は一目見て気に入った」

「コレが家長だな、それでこれが妻でこれが子ども達。うふふ、朱鷺の一家だ」

一羽一羽指を指しつつ、説明する。

「・・・構成は兎も角、気に入ったぞ!!連れて来い木場修ッ!僕はこの絵描き猿に会いたいぞッ!!」

「ハァ!?」

何を冗談・・・と思うが先に

「今日中に連れて来るのだ!!神の命令だ碁盤男!!」

榎木津帝が宣言した。

「誰が碁盤だテメェ!!!」

「とっとと行って連れて来るのだ!行かなきゃ僕が直々に捕獲に行くぞッ!!」

「分かった分かった!!イイからおめぇは其処を動くんじゃねえぞ!!!全く、俺ぁ夜警明けなんだぞ扱き使いやがって!」

しかし、命令となった以上、あの男を連れて来なければならぬ。直々に迎えに行くと言う言葉は、冗談無くホントにやりかねない、いややるのだ。この男の場合。そんな事になろうものなら、都がひっくり返りかねない騒ぎになる。公僕としての使命感が彼を理性的にさせた。走るように殿中を辞し、馬を駆って昨日、あの絵師と別れた辻まで向かう。


「確か、この近くと言っていたな・・・・」

見渡せば中流階級の者が住んでいそうな地域である。こじんまりとした邸宅が並んでいる。馬上から塀越しに覗く様に辻を通り、奥へ入っていく。
ふと、ある屋敷の一角に茅葺の作業場のような小屋が有るのを見つけた。小屋に縁側があり縁側に面した戸は開け放たれていた。

「・・・・此処のようだな」

目を凝らしてみれば、白い紙が小屋の床に散乱しているのが見えた。木場の直感は間違いなくあの男は此処に居ると告げた。
すぐに屋敷の門を叩く。「検非違使佐である、殿中よりの急用だ」と告げると、直ぐに門は開き、

「うへぇ」と言う使用人であろう男の声がし、直ぐ中へ招き入れられた。

「先生!先生!大変です!検非違使佐が火急の用で御越しに・・・!」

小屋の中へ若い男がバタバタと飛び込んで行く。

「うぅーん・・・なんだい鳥口君・・・僕は・・・まだ・・・」

「まだとか豆とか炒ってる場合じゃないですよ!!け、検非違使がっ・・・」

木場は主人がまだ寝ぼけているのだと判断し、「上がらせてもらうぜ」とずかずかと小屋へ上がりこみ、下男に揺り起こされているその、昨日会った絵師の胸倉を掴んで引き起こした。

「ひぇえ!」下男──鳥口が腰を抜かす。

「オイ、いい加減に起きろッ!!」

一喝され、流石に寝ぼけていた男の目に光が宿り、継いで「ひゃ・・・」と言う声にならない悲鳴を上げて硬直した。昨日に増して無精ひげがみっともない貧相な小男だ。

「起きたな。俺だ。昨日の木場だ、まさか忘れてぁないよな」

「う、うぅ・・・」

胸倉掴まれたまま、顎を縦に動かし意思表示を何とかした。

「そうか、よし。じゃあ行くぞ」

そのまま引きずって行こうとする。慌てて下男がお待ち下さいと叫ぶ。
一体どういう事なのですかと真っ青になりながら問うので、ああ、と木場も思い出したように下男に言った。

「昨日こちらの先生の絵を帝にご覧に入れたら大層お気に入られあそばしてな、是非会いたいと恐れ多くも招聘あそばされたのだ」

となんとなく畏まった様なしかしかなり適当な言い回しで伝え、腰が抜けて立てないよれよれの小男を肩に担ぎ、屋敷を後にした。

「う、うへぇ」

鳥口は呆然としたまま、「行ってらっしゃいませ・・・どうかご無事で・・・」と拝みつつ見送っていた。
-続-

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