平安朝百鬼夜行

第十二話:三日夜の餅


男性が三日間欠かさず通い、三日目に三日夜の餅を二人で食べる事によって正式な夫婦となる。


「今日で三日目ですねぇ!」

関口が内裏から戻ると、からかう調子で出迎えた鳥口が言う。

「嬉しそうだね・・・だいたい何で君が嬉しそうなんだよ」

げんなりした様に関口が答える。最初の晩の後、二日目の晩も夕方に予告どおり中禅寺はやってきた。何だかんだと話し込み、そして共寝をし明け方前に出仕して行った。関口が拒否した為結局中禅寺も無理強いをせず「契り」はしなかったが、初日と同じように、添い寝して語る合間に好いているだの親しい言葉を語り合う人がほしいのだよと口説こうとするから関口はもごもごと

『何で君はこんな貧相な男に執着するんだい・・・そもそも何だよ。内裏じゃあ君だっていつも口を開けばみっともないだの胡乱だの、影が薄いだの音痴だの言うじゃないか。その通りだよ、僕は君の言う通りの人間で、君が伴侶と望むような人間じゃない。君程の男なら望めばいい女性が沢山居るだろうに』

と溜息混じりにこぼした。中禅寺は少し困ったように眉を顰め、

『仕方無いだろう。僕だってまさか君みたいな男に惚れるとは思わなかったのだ。だが惚れてしまったものは仕方が無い。今更君を手放す気は無いのだから、僕は君の夫として君が他所に出ても恥ずかしく無いようにしたいのだ。妻が他所の者に貶されるのは見ていて気持ち良い物じゃないからね。良いかい関口君。確かに僕は君のような人間とは正直関わりたくないとさえ思う事が有る。だがね、人間の心と言うものはそう単純に割り切れるものじゃあない。確かに君の欠点ばかり論う様に見えるから、君には長所など無いと思うかも知れない。だが、君にだってちゃあんと長所は有るのだ。その長所は他の奴には判らなくてもこの僕が生涯を掛けるに十分過ぎるほど僕を捕らえたのだ。だから僕がこうしている事に何ら不思議な事は無いのだよ、関口君。僕にとって君はまさしく運命の君なのだ』

そして関口を抱きかかえたまま一眠りし、明け方前に帰り、明け方には歌を送って寄越して来た。

<今日もまた かくやいぶきの さしも草 さらばわれのみ 燃えやわたらん>
(今日もまた、あなたは、そんなことを言うのですね。 それなら私だけが、熱い恋の炎を燃やし続けることになるのでしょうか)

受け取った関口は苦笑するしかなく。其れでもきちんと返事を送らないと後で何を言われるか分からないので急いで和歌を書いて届けさせた。

<塵泥(ちりひぢ)の 数にもあらぬ我ゆゑに 思ひ侘ぶらむ背子がかなしさ>
(こんなに平凡でつまらない私の為に、あなたがそんなに想い悩んで心痛めているかと思うと、本当に辛いよ)

万葉の歌からの引用であるが、関口は本来女性に宛てた「妹」である所を男性を表す「背子」と変えて詠んだのだ。
中禅寺はそれを読んだのであろう、内裏の何時もの所で絵を描いている所へやって来て愉快そうに『僕を背の君と詠んでくれるのかい?』と囁いた。最も、その後は字が相変わらず汚いというお小言に変わったのだが。


「だって今日で、三日夜の餅ですよ!」

「・・・・」

鳥口の声に現実に帰りはっとして関口が固まる。目の前には鳥口がちょっと先生話聞いてますかぁ?と不審げにしていた。

「うへえ、先生自分のことなんですよ!?でも!先生がぼうっとしていても僕がもう準備してますからね、大船に乗った気分で居て下さいよぅ!」

泥舟の間違いじゃないかと脳裏に過ぎったが、口に出す気力も無い関口ははぁ、と溜息をつき、どんよりと鳥口に視線を送った。何が楽しいのかわからないが鳥口は楽しそうに関口から筆記用具が入っている包みを受け取り、何時ものように整理し始めた。

「あ、お着替えそこに置いて有りますよ。香を焚き染めるのでしたらあちらに香炉を出してありますんでどうぞ」

鳥口に言われてそっちの方を見ると、そんなに高級なものではないと一目で分る香炉が置いて有った。何時もの位置とは違う事に、昨日の情景を思い出す。

「そういえば昨日はお香まで焚いてあったね・・・」

「雰囲気盛り上がったでしょう!どうでした!?最近公達の間で流行してる組み合わせなんだそうですよ!」

「うん、京極堂は喜んでたよ・・・」

関口はげんなりした顔。昨日準備しておくと言うのはやはりその事だったのか、と思い当たった。
中禅寺は都で流行の香が焚き染めてある部屋に、鳥口君は粋と言うものが良く分かってるネェと褒め称えていた。

『どうせ僕は粋も無いし気も利かないよ・・・』

口を尖らせる関口に中禅寺が片眉を上げて言う。

『何僻んでいるんだね、良い家人を持ったと鼻を高くすれば良いじゃないか』

『べ、別にひがんでなんか・・・』

『じゃあ、妬いているのかい?・・・なら嬉しいね』

と関口を引き寄せた。中禅寺の香がふわりと鼻を掠め、そのどこか懐かしい香りをもっと嗅ぎたいと無意識に頬を中禅寺の胸に摺り寄せた。耳に衣擦れの音が聞こえ、我に返りびくりと身体を固くする。

『な、なに言ってるんだよ・・・そ、そんなんじゃ・・・』

『少しは、僕の事を、恋人として認めてくれるようになったかな。君をこうして抱き寄せても、前程は震えなくなったろう』

『ち・・・・中禅寺・・・』

『違うのかい?』

耳元で囁く中禅寺に、関口は耳まで真っ赤にして俯いた。中禅寺は満足げに

『ふふ、そうしていると初々しいじゃないか。こういう時はね関口君。苗字ではなく名前を、呼ぶんだよ・・・』

関口の唇を堪能し、睦言を交わす。しかし、やはり抱き合って眠るだけで契ることは無く、
そして、明け方前に彼は後朝の別れを惜しみつつ出て行った。例の如くきちんと文も届けられた。
関口も仕事が有るので参内し、内裏では相変わらず家とは別人のような中禅寺・・・。その落差に軽く混乱しながら京極堂に窘められ、帝に弄られて。消耗しきって午後に帰ってきた所だった。

「さすが師匠、あの組み合わせをもう知ってたんですかぁ!世情に疎い書庫の虫かと思えば流行にも敏感なんですねぇさすが僕の師匠です!あ、先生これを読んでいて下さいね、今夜の式次第みたいなものです。これ師匠が先生に読んで置くようにって届けて下さったんですよぅ。先生が恥掻かなくてすむようにっていう心遣いだそうですよ!なんてったって今日は三日夜ですからね!」

悶々とする関口を他所に、鳥口は嬉しそうに台所へ入って行き、使用人に今夜の準備の指示をしていた。

「僕は如何したって男なんだから、妻にはなれないのに。皆して何を考えてるんだ」

溜息をつきつつ狩り衣へと着替え、渡された式次第も字面の上を目が泳ぐだけでろくに頭に入らなかった。簀子(すのこ)に座り込んでぼんやりと庭を眺めていた。 
 
 それから半刻も過ぎ夜の帳が下りた頃、中禅寺がやってきた。玄関まで迎えに出ると中禅寺は今日は直衣ではなく狩り衣の出で立ちでいた。昼間宮中では直衣であったから、一旦家に戻ったのだろうか。普段から殆ど着崩れた姿を見せない中禅寺であったが、髪も小物も整え直してきている所為か何時にも増して精悍な様子に見えた。それから鳥口が奥から出てきて用意した夕食の膳を囲んで酒を軽く飲みつつ、中禅寺の薀蓄を聞いたり絵の題材に付いて話しあう。夜も更けた頃、中禅寺に促され揃って寝屋に入った。鳥口が用意した新品の几帳や調度品を見ると今夜が現実である事を実感せざるを得ない。

「・・・」

関口は相変わらず寝屋に入ると褥(しとね)の端に座り込んで俯いてしまう。耳まで赤くなって俯く小柄な背中を見ると初々しいといえばそれはそうなのだが、彼は深窓の姫君ではなく男なのだから端から見ればしょぼくれた情け無い様相である。

「───巽。式次第は読んだかい?鳥口君に渡しておいたのだが。君も知って居るだろうが今夜は」

「ちゅ、中禅寺、あの、」

中禅寺の言葉を遮り顔を上げて関口は中禅寺を見た。困惑の色がありありと見て取れる。縋るような目で見る関口に、中禅寺は酷く彼に酷い事をしているような罪悪感を覚える。実際そうなのだろうが、中禅寺は関口を此処で逃す訳には行かなかった。

「君がこれ以上僕の事を望まないのならば、僕は此処で暇を請う事にするが───君はどうしたい?」

「そ、それは」

関口は返答に詰まり、泣きそうな顔で小さく口を震わせて目を伏せた。関口に今この場で自分を拒絶する事など出来はしない事は確信している。狡い事は百も承知だった。

「なあに、今君に追い返された所で今まで通りの関係に戻るだけだから心配しなくて良いよ。君が望むのなら必要以上には近付かないし、今までの事も無かった事に出来る」

中禅寺がふっと外を眺めながら淡々と言えば、関口は急に顔を上げて少々声を荒げた。

「や、止めてくれよ。そんな事、言える訳無い、出来る訳無いじゃないか。ぼ、僕だって君に嫌われないようにしたいって必死なんだよ!君が何時僕に飽きるのだろうかって、そう思って、そ、それに、き、君は無かった事にしてしまえる程、そ、その、その」

「ほう?それは知らなかったよ。君がそんな事を考えていたなんてね。断られた位で無かった事にしてしまえる程君への想いが簡単な物だったのだろうと君は思ったかもしれないが、君の為を思えばこそ、何も無かった様な態度を取るべきなのだと───僕にとっては苦渋の思いなのだ。言っておくが君と結ばれないのならば、僕は生涯独り身を貫く心算だ。───そうか、僕が一方的に君に好意を押し付けているとばかり思っていたから───流石に迷いが出てしまったが、君が僕を望んでくれるのならば」

中禅寺はそっと関口の頬に手を当てる。

「僕は、今宵君を妻として娶り───君と操を立てたい」

「・・・秋、彦」

「・・・僕はまだ君を知らなさ過ぎる。君の行動や考えは分っても、僕に対して君がどう思っているのか、君が胸の内で何を抱えているのか知らないのだ。もう少し、君を知りたい」

真剣な眼差しで、しかし優しい声音で己の気持ちを伝える中禅寺。ふわりと中禅寺の香りが鼻腔を満たす。目を細める関口の両頬を両手で挟みこんで、そっと顔を近づける。

「!」

軽く顔に掛かった中禅寺の息で彼の声音と顔に魅入られたようにしていた関口ははっとして目を見開く。

「ま、まって、」

「・・・・無理、かな・・・まだ」

身動ぎして中禅寺の手から逃れようとする関口の様子を見て中禅寺は両頬から手を離し残念そうに言う。怯えを湛えた目は小動物のようで、哀れさを誘い庇護欲と共に自分の物にして乱したいと独占欲が鬩ぎ合う。この白い肌に触れたいと、この唇を吸い尽くしてしまいたいと体の芯がじくじくと痛む。

「も、もう少しって・・・どういう・・・」

「君を、僕にもう少し開いて欲しいと言っているのだよ」

そういって、寝巻きの上から関口の胸に手を触れる。触れられてびくりと拒絶反応を示す関口を背中に回したもう一方の手で逃がさぬようにし、耳元で囁く。

「どうだろうか、ねえ、巽。君の中に、僕の入る場所は有るだろうか」

胸に触れている手から中禅寺の想いが伝わって来る。甘く切なく痛みを伴いながら侵食してくる中禅寺の波。これが自分に向けられた彼の心なのか。
関口は相手の感情を吸い取るように他者に同調する。だから言葉よりも時に雄弁に想いを伝える為に中禅寺は何かと関口に触れる。感受性が高い癖に元が胡乱な男だから直ぐ流されてどんな相手にでも呑まれてしまう。

───誰であろうと君を取られてたまるものか。この僕以外の誰にも触れさせはせぬ。

「・・・ぁ・・・秋彦・・・」

溜息混じりに関口が中禅寺の名を呼んだ。鼓動が早まり、全身が温かくなっていく。

───僕の空虚(うつろ)を、君が埋めてくれるの?こんな僕と───ずっと、一緒に居てくれるのかい?想いを遂げたら、もうそれっきりなのじゃないのかい?

温かい波に浸ってしまいたい思いに酔いつつも、頭のどこかで信じるなと警鐘が鳴る。気持ちを確かめたくておずおずと胸に当てられた中禅寺の手に自分の手を重ねれば、中禅寺はそっと褥に関口を横たえた。

「巽」

関口の瞳が戸惑いながらも中禅寺の瞳を捉えていた。

「───ぼ、僕は───雲、なのか」

「ふぅん、じゃあ、僕は懐王で、此処は陽台かい?関口君。逢瀬を巫山の夢に喩えるとは可愛いと言いたい所だが、頼むから結婚式の日にそんな風に言わないでくれ。何度でも言うが、君の居場所は此処だ。一度限りの契りだなんて冗談じゃないぞ。三日夜を迎えた以上は僕らは夫婦だ。朝な夕な君の面影を追い求め、独り寝を繰り返す事などもう御免だ。君が神女と言うのならば、天に戻ると言うのならば羽衣を引き裂いてでも僕は君を手放しはしない、そうだな───引き裂いた羽衣で君を繋ぎ止めようか」

まだ信用されていないのかと内心歯がゆく思いつつ片眉を上げて関口に言葉を返し、関口の胸においていた手で前合わせを掴み、左に開けば、白い華奢な首筋、肩、胸が露になる。直に手を当てて滑らせ、脇を掴むようにして力を篭めた。関口の鼓動を感じる。生きている。藤の姫に生気を奪われ瀕死だったあの夜を思い出し、中禅寺の中に焦燥感が湧き上がる。

───君をもう失いたくないのだ

関口の方は一気に流れ込む中禅寺の想いに翻弄され思わず吐息が漏れる。中禅寺への憐憫がふと沸き起こり愛おしく感じる。彼を癒したかった。

───寂しいのは、嫌だよね

そして関口は中禅寺の背に手を回し、うん、と頷いた。

「巽・・・」

了承を得た中禅寺は関口の唇を噛み付くように犯し、唾液を溢れさせる様に貪る。そして喉から首筋を吸い付くように舐め、口付けを落としていく。肩口を軽く噛み、嘗め回し、そして、半開きの合わせに手を差し込み、薄い胸を撫で回しつつ胸前を完全に開いた。やや荒くなりかけた呼吸に合わせ上下する関口の胸を丹念に愛撫する。関口の体温を感じ、生きている悦びを味わえば、

「あ、ぁ・・・あっ」

胸を弄る中禅寺の手の感触に関口は思わず声を上げた。拒絶している様子は無い。中禅寺は関口が感じていることにほっとしつつ舌で肩口から鎖骨、そして胸の上を辿る。そして、白い胸の頂点に舌を這わせ、吸い上げた。

「あああっ・・・だ、あ、っ・・・」

関口がのけぞる。愛らしい蕾を吸いつつ、舌で転がし、もう片方の手で反対側の蕾を摘み、弄る。
そして軽く噛んだ。

「・・・っ、あ、やぁ・・・ぁあ!」

首を振って逃れようとする関口。中禅寺は口を離し、可愛らしい小さな突起を指で捏ねるようにその感触を楽しみつつ囁いた。

「僕の名を呼んで、巽」

「あ、あきひこ・・・っ」

「そうだ、此処に居るのは僕だ」

「あきひこぉ・・・あき・・・あぁ」

「そうだ、僕の名を呼べ。いつだって、君の側に居る」

「あぁ、あき、ひこ・・」

充血して桃色に色付いた蕾に吸い付く。中禅寺は、胸を弄っていた片手をそっと関口の腹から腰へ沿うように撫でて行き裾を割って関口の内股に這わす。そして彼の芯にたどり着く。そっと手を当ててやれば僅かに、彼の芯は鼓動を打ち固さを持ちはじめていた。その温かさに愛しさが湧き上がる。

「・・・嬉しいよ」

そっと彼の物を覆うように手を動かせばびくり、と関口は反応する。愛撫で緩んでいた関口の体が一瞬で緊張により硬直するのを見て、中禅寺は宥める様に囁いた。

「怖がらないでくれ。大丈夫だよ、これ以上はしない・・・こうして居たいだけだ」

「あ、ぁ・・・あきひこ・・あきひこ・・・」

瞳を潤ませつつ関口は名を呼び続ける。中禅寺はその声に満足したように微笑むと、口を吸い、再び徐々に愛撫を深めて行った。中禅寺の想いに応える様に関口は秋彦の名を呼び続けつつ、現実、彼を満足させてやる事が出来ない自分が酷く惨めになった。


関口意識を手放してが眠ってしまった後も中禅寺は布団の中で関口を離さなかった。烏帽子を外し、優しく眠る関口の髪を梳く。
関口は自分を受け入れてくれようとしている。戸惑いながらも自分と向き合おうとしている。固く閉じた天岩戸を開くのは容易ではないが、こうして一緒に居る時間を増やして触れあい、彼の居場所がこの私の腕の中であると認識させていけばやがて不安定な彼も落ち着き、心も身体も全て───本当に僕を受け入れてくれるだろう。もし記憶が戻ったとしても彼を孤独に追い遣る事の無い様に、関口の居場所を作ってやらなければ。

「巽・・・僕の妻に・・・僕と、一緒に暮らしてくれないだろうか」

関口は眠っている。眠っているのを分かっていて、中禅寺は囁いている。起きていたらきっと飛び起きて拒否するだろうと思いながら囁いている。

「僕はね、・・・君を北の方にしたいのだよ」

北の方、つまり正妻である。

「君を娶る事で地獄に落ちるとしても構わない・・・僕は・・・もう二度と君を失いたくない。君を手放す事で君が幸せになるならば身を引く事も君への愛情だと他人は言うだろうが、今の儘ではやがて君は記憶を取り戻して独り壊れてしまうだろう───そうなったら僕は───誰が何と言おうと、僕は君を手放しはしない。今となっては君を失う事こそが僕にとっての地獄なのだ」

「ん・・・あ・・きひ・・こ・・」

囁きかける中禅寺の声に反応して寝言で自分の名を呼ぶ関口に、中禅寺は泣きそうな位切なくなった。
寝顔はあの頃の桔梗丸の面影を良く残している。時折震える長い睫が愛らしい。幼き日、仕方なかったとは言え、知らなかったとは言え、守ろうと決めた少年と別れ、再会と幸せを祈って年を重ねた。だが、あの子は語るも辛い少年期を過ごし、あの天真爛漫で繊細な人懐こい少年は今は心身傷つき病んでしまっていた。人を恐れ常に怯え、<だいすき>だと言って友の誓いをしたあの子は、自分の事すら覚えていなかった───否、封印し、子供時代諸共に忘却したのだ。──あの時、無理にでも小萩に頼み、桔梗丸との繋がりを保ち、友人として自分が側に居たならば変わっていたのかも知れぬと思えば───と、もしもの話につい自分を責めてしまう。今更過去の子供時代の話だ、出来なかった事を責めても仕方が無いではないか。分っている。普段自分が最も否定している行為であるが、桔梗丸の───関口の事となると心が乱れてしまう。

「たつみ・・・・」

だが、今、彼は此処に居る。この現実をもう二度と手放しはしない。今からでも彼を救う事は出来る筈だ。それが出来るのはこの僕しか居ないのだ。中禅寺は眠る関口の額に口付けを贈り、今暫くの余韻を噛み締めていた。


「───そろそろ起きたまえ、巽」

「ん・・・うん・・・まだ早いよ・・・」

耳元で囁く中禅寺の声に身じろぎする関口。まだ未明にもなっていないはず。今日は自分は出仕は無い日だから、もう少し休みたいのだが・・・。

───あぁ、中禅寺はもう出仕なのか

・・・見送らなくては。などと胡乱な頭で色々ぼんやり考えるも、褥の暖かさについまどろみに引き込まれてしまう。

「巽、好い加減に起きたまえ」

中々起きない巽に、中禅寺の声が厳しくなった。

「ん・・あきひこ・・・」

だが関口に名を呼ばれて、やや中禅寺の声音が優しくなる。頬を撫でながら中禅寺が言う。

「三日夜餅だよ、ほら起きて」

「───!!ぁ、みか、よ・・・!!」

<三日夜餅>と言う言葉に流石の関口も一気に目覚めた。
男性が三日間欠かさず女の元に通い、三日目に三日夜の餅を二人で食べる事によって正式な夫婦となり、男は女の家が用意した烏帽子と狩衣を着て御帳台の前に出る。これを露顕(ところあらわし)と言い、女の家族に顔を合わせる事になるのだ。

───そうだ、今夜は・・・!い、いやでも、でも。女の家って、女の家って。

恐る恐る起き上がって枕元を見る。

「・・・・・ッ!!!!」

置いてある。膳が。朱塗りの膳は、この屋敷で一番良い膳だ。その上においてあるのは・・・。
小ぶりの愛らしい器の上においてある、それは。

「・・・も、もち」

関口の頭の中が真っ白になる。思わず四つんばいのまま後ろにさがる。

「鳥口君が、先程持ってきたのだよ」

関口が慌てふためくその様子を可笑しそうに見ている中禅寺。

「!!ッ!!」

関口はへたりと座り込み、思わず口を押さえて真っ赤になる。中禅寺は、態と起こさなかったのだ。

「ど、どうして起こしてくれなかったんだよ・・・」

「あんまり良く眠ってたからねぇ。それに鳥口君、僕らを興味深々で見ていったから、起こしたら君が大変だろうと思ってね」

「きょ、きょ・・・ぅぅ、ど、どうしよう・・・」

「そんなに緊張しなくて良いのだよ関口君。婚姻を行う時は皆やってる事だ、そう難しくない」

「婚姻って・・・そんな」

「ああ、だから大丈夫だよ、君の心配してる事にはならないから。それより頂こうじゃないか、折角用意してくれたんだぞ」

恐る恐る近寄り、中禅寺の横に来る。
そして膳を引き寄せ、二人の前に置く。中禅寺は、箸を取り、

「三日夜の餅はね。男は三枚、それも噛み切らずに食べるのが決まりだとある。さて、僕と君、どっちが三枚食べる?」

「はっ!?」

「噛み<切る>という事は縁を<切る>と言う事に繋がるからねぇ。君が僕との縁を切りたいなら三枚噛み切って食べると良い」

意地の悪い笑みを浮かべる。

「そ、そんな・・・」

首を横に振って目に涙を浮かべる。それを見て中禅寺は満足したように微笑みつつ、

「因みに女の方は幾つでも良いそうだよ」

と言った。

「うぅ、何でこんな事するんだ」

餅を凝視している関口に中禅寺は語る。

「これはね、婿取りの儀式なのだよ。女の家の竈で作られた餅を食す事により外から来た男は女の親族として迎え入れられる。一族の仲間入りを果たすのだ。まあ、その本質を言うならば娘の寝所に忍んで通う男をその現場で捕らえて自家の竈の火で調理した餅を食べさせることで同族化してしまうという婿捕らえの呪術とも言える。ほら、黄泉戸契(よもつへぐい)と言う言葉があるだろう。あれは黄泉(あの世)の食物を食べる事で現世に戻れなくなるという話だが、其処の食物を食べる事でその地と同化する事を意味するのだ。この婿取りの儀式もそれに通じる物があると思うのだが、どうかね関口君」

「はぁ・・・」

「つまり僕が君の家の竈で作られたこの餅を食べることによって、僕は君と同族になると言う事だ」

優しく微笑んで、餅を口に入れた。喉に詰まらせないか心配そうに見つめる関口に、そんなにまじまじ見るなよと片眉を吊り上げて言う。小ぶりの餅だからそう難しくないのか、それとも単に器用なのか薀蓄を垂れつつ中禅寺は作法にのっとり餅を飲み込むように食べてしまった。

「ちなみに、男が二枚以下、四枚以上を食べても婚姻は不成立だ。まあ僕は本気の相手にそんな失態はしないけどね。
・・・さあ、君も。君は女人側なので無理しないで良いから、一枚でもお食べ。なんなら、僕が食べさせてあげようか」

女人側と言われた関口は自尊心に火が付いてむっとした様に

「う、ば、馬鹿にするなよっ、こ、この位の餅、自分で食べられるさ」

と言うと慌てて箸で餅を取り、口に入れる。小ぶりの餅とはいえ、関口は普通に食べるのも不器用だ。口も小さいほうだから大変だった。噛み切らないように少しずつ、喉に流し込む。中禅寺は杯を煽りつつ、愉快そうにその様子を見ていた。二個目の餅に手を伸ばす。

「無理しなくて良い」

と中禅寺は言ったのだが、意外な所で負けず嫌いな関口は、三個食べると頑として聞かず、喉に詰まらせかけつつも何とか三つ飲み込んだ。

「・・・はぁ、はぁ。こ、これで良いのかい?」

何かと格闘して来たかのような汗と荒い息で関口が確認する。

「ああ、完璧だよ」

笑いを噛み殺しつつ中禅寺は答えた。関口は、白湯を飲んで喉を潤しつつ

「み、皆何だってこんな大変な事をするんだろうか・・・」

と一息ついた。

「それは君くらいな物だろ」

「そ、そんな事無いだろ、絶対うっかり噛み切って泣いた人は居ると思う、うん、きっと居るさ」

そんな関口をくすくすと笑う中禅寺。膳を枕元に押しやって、関口を抱き寄せる。袖で餅との格闘の勲章である額の汗を拭ってやって、囁く。

「さぁ、今宵はこれからだよ巽。今からは夫婦としての夜だ」

そして首筋に口付けを落とす。

「中禅寺・・・」

関口はその言葉に、体の芯が熱くなるのを感じた。夫婦。同族。家族。自分にはずっと縁の薄い物だった。
身内と呼べる者は皆自分から離れて行くだけだった。手を差し伸べてくれる者が居なかった訳ではないが、其れでも愛情を感じられる程ではなかった。肉親と言うには遠いが、今自分を親類として慕い親身に世話をしてくれる鳥口とていつかは自分の家庭を持つ事になる。そうなれば彼もこの家を出て行くだろう。どうせいつかは離れていくものならば、最初からそんな物は自分には無縁のものだと思って居た方が傷つく事は無い。為るべく人と関わらぬように、人目に付かぬように生きていこうと思っていた。

────それなのに。この男は態々自分から関わって来て、散々僕を引っ張った挙句あげく同族となると言う。一体何故だ。僕なんかそんな価値が有るというのか。どうしてそんなに構うのだ。中禅寺は地位も名誉も有る男だ。やはり面白がって酔狂で周囲とは毛色の違う僕を手慰みに利用しようというのだろうか。

中禅寺はそんな不安を感じ取ったのか、小さく溜息をついて関口の手を自分の胸に当てた。

「ほんとうに疑り深いなぁ。君の事だ、どうせまた、僕が君を弄ぶつもりだと思ってるだろう?君の中で僕と言う人間はどれだけ外道なんだろうか。言わせて貰うが大体、君なんか弄んで僕に何の得があるのだ。弄ぶだけならもっと見目良いのが幾らでも宮中に転がって、───いやそもそも僕は男色の気も稚児趣味も無い。どうせ浮名を流すならば女相手の方が聞こえも良いし、それこそ都に姫君は幾らでも居るだろうが。この僕が自分でも有り得ないと思う程、こんなに正直に君に思いを伝えているのに、どうして君は分ってくれないんだろうね。そりゃあその気になれば言葉で君を操る事は簡単だが───君にはしない。いや、出来ない。君自身が心底僕を好いてくれなければ僕は満たされないのだ。操って君を手に入れてもただ空しいだけだ」

「そ、そんな、だって」

手を当てた中禅寺の胸から相変わらずの温かく切ない感情が流れ込んで来る。自分を求める感情に全身が甘く震える。思わずその心地良い波にうっとりと全身を浸したくなる。何と甘美な想いだろうか。こんな想いが他人から自分に向けられる等とは思いもしなかった。何度かこうやって彼の胸に手を当てたが、いつも懐かしい温かさに泣きそうになる。昔から知っていたようなこの温かさに包まれたい。でも委ねようとすれば、己の心に入り込ませるなと、関わるなと、氷を溶かさないでくれと心の奥底から痛みと共にもう一人の自分が悲鳴を上げるのだ。

「───あぁ───」

胸の痛みに思わず中禅寺の身頃に縋りついて関口は嗚咽を漏らした。泣き出した関口に中禅寺は関口が拒絶したと思ったのか

「すまなかった。君が否ならば無理強いはしない。もう何もしないから泣かないでくれ」

と関口を宥めるように背中を優しく叩いた。もう寝かせてやろうと中禅寺が体を離そうとすると違うのだとしゃくり上げながら関口は首を横に振った。

「巽」

「ぼ、僕は、怖いんだ、き、君を好きになって、捨てられるのが、こ、怖いんだ、君に縋りたい、でも、出来ないんだ、もしも君を信じてしまったら、その後僕はきっと、君に」

───捨てられる。分ってる。今までだってそうだった。手に入った時点で僕は相手にとって何の価値も無い存在となるのだ。

「巽。今僕が絶対に君を捨て無い、君を守ると言っても君は僕を信じてはくれないのだろうね」

「ご、ごめんよ、き、君が悪いんじゃないんだ、僕の、僕の所為なんだ」

「君の所為じゃない。君を其処まで追い込んでしまった者達の所為だ。そして、君を守りきれなかった僕の所為だ。あの頃は僕もまだ子供だったとは言え、僕は君を守る為にもっと手を打たねばならなかったのだ」

「ち、違う、君は何も悪くないじゃないか」

首を横に振り、中禅寺から離れようとする関口を抱き留めて中禅寺は関口に訴えた。

「君にとって僕は役立たずかも知れないが、せめて側に居させてはくれないか。君も孤独だが僕も同じように孤独だ。誰も僕の事を真に理解する人間は居ない。それで良いと思っていたが、君と出会って僕は知ってしまったんだよ」

「な、何を?」

関口の手をそっと撫でて小さく微笑む。

「君の側に居ると僕は安らぐのだ」

「安らぐ───君が?」

「そうだ。君の顔を見て話をして香りを嗅いで、君に触れて、それだけで安らぐのだ。陰陽師ではなく、僕自身に戻れるのだ」

「君、自身に」

「だから、僕は君を独り占めしたくなったのさ。僕は書物があれば他に必要な物は無いとさえ思っていたのだがね。だが、書物以外に僕に必要なものが出来たのだ。君の姿を見て、君の香りを嗅いで、君と他愛のない会話をする事だ。ふふ、こうして抱き寄せて、必死に毎晩君を口説いている姿は宮中の人間には誰も想像出来ないだろうなぁ。愉快だろう?」

「おい、愉快って、そんな」

ちょっと怒ったような関口に

「こんな間抜けた僕の姿は君しか知らないんだ、愉快じゃないか?何なら皆にばらしても良いんだぜ?その上もう僕らは三日夜の餅まで食べたのだなんて知ったら皆泡食うだろうなぁ」

中禅寺は子供のような顔をして笑った。胸がとくんと波打った。榎木津とは東宮時代から親しくして居たと聞くが、彼の前でもこんな笑い方をする事はあるのだろうか。見上げ見詰てくる関口に、中禅寺は少し困ったような顔をして小さく溜息をついた。

「夜も更けたな、君はそろそろ寝給え。明日はまたやる事があるのだ」

「あ、あの」

「新妻の寝顔だけでも見て僕も寝るとしよう。その前に僕はこの読み掛けを片付けてから寝るよ」

そう言って関口を寝かせ、上掛けを掛けてやると中禅寺は関口から離れ灯りの方へ移動して腹這いに横になり、書物を開いた。関口は目を閉じたものの、このままで良いのだろうかと自問していた。なし崩し的に三日夜を迎えた。結局餅を食っただけでその実恋人らしい事、いや本来肝心な事である筈の、まぐわう事もして居ない。いつも関口が土壇場で駄々をこねて拒絶し、最後は根負けした中禅寺を困らせて終わりだ。そもそも男同士と言う時点で身体を重ねる事を拒絶するのは当然だと思うのだが、抱き寄せられて中禅寺の香りに包まれているのは───正直、嫌では無いと言う事は、暫く前から思っていた。人一人分離れて横たわっている、この距離が寂しいとさえ思う。

───僕は、何を考えているんだ。そんな事、変じゃないか。

関口が頭を過ぎる考えを振り払おうと息を吐いたとき、中禅寺が本を読み終わったのだろう、紙束がぱたんと音を立てた。そしてこちらを見る気配を感じる。

「早行きて何時しか君を相見むと念(おもひ)しこころ今ぞ和(な)ぎぬる」

<急いで行って早く君と会いたいと思っていたけれど、こうして君を見て漸く心が落ち着いたよ>

微かな声で和歌を呟く中禅寺。自分の側にいると安らぐと言う中禅寺。それは今こうしている自分もそうだ。夜を怖れず、夢を怖れずに眠る事が出来た時は、いつも彼とこうして寝る時だった。

───新妻、かぁ───

これからは夫婦だと彼は言う。彼の言葉に嘘は感じない。けれど人の心は移ろう物だ。留める事はできないだろう。今だって心の奥で頭の奥で、信じたら駄目だという思いが拭えない。

───それでも、僕は、嬉しかった。

例えそれが、一時の物であろうとも、今この瞬間、彼は本気で夫婦の固めを行った。その気持ちは本物だと僕には分る。

───応えたいんだ。彼の想いに。

そんな思いに突き動かされるように、関口は口を開いた。

「あきひこ・・・あの」

「?なんだい、まだ起きていたのか。寝れないのかい?」

傍に寄り、中禅寺は関口の頬を撫でた。関口はその手に自分の手を重ねるように当て、言った。

「ぼ、僕も、そ、その、───っ、き、君をしっ、知りたい───ん、だ、」


緊張による吃音で途切れ途切れの言葉ではあったが、中禅寺にははっきりとその言葉は聞き取れた。

「────」

関口の言葉に中禅寺の目が見開かれ、信じられないという様に瞬き、それから直ぐに眉を顰め嗜める様に言う。

「また無駄に自己嫌悪したのか?君というやつは暇が有れば碌な事を考えないな。何度も言っているだろう?嫌な物は嫌と言えば良い、僕はそんな事で君を嫌ったりしない。疲れているのだろう早く寝たまえ。僕ももう寝るから」

そう言って燭台の灯を消そうと身を起こした中禅寺に関口は手を伸ばして止めた。

「ま、待ってくれ、そ、その、全部は、今は、その、む、無理だけど・・・す、すこしだけ、なら、」

耳まで真っ赤になって俯きながらそれでも勇気を振り絞るように言う関口。その様子に思わず情欲が沸き起こるが、中禅寺は彼の手がこの寒さにありながら緊張で汗ばみ、微かに震えているのを見逃さなかった。

「馬鹿だなあ、怖がっているのが丸分かりじゃないか。気持ちは有難いが、僕は君を強姦するつもりは無いんだ。誤解しないでくれよ、今君の誘いを断っているのは安易な誘いに乗って君を傷つけたくないからだ。後で後悔するのは真っ平御免だぜ。だが君にそんな風に誘われれば僕だって情が沸いてしまう。理性がどこまで保てるか分からないのだ───やれやれ、本当に君は僕の心を乱すねぇ」

小さく苦笑して灯りを消す。そしてそっと自分の袖を掴んでいる関口の手を取り、関口の褥(しとね)へと戻してやり、掛け布をなおしてやった。

「お休み、巽」

そう言って中禅寺も床につく。横になり、深く溜息を吐いた。関口はその呼気を耳にして泣きそうになった。中禅寺が遠く感じられ、灯りの消えた闇の中、急激に孤独感に襲われる。

────寒いよ。凍えてしまう。お願いだ、独りにしないで。独りにしないで。あきひこ、傍に居ておくれよ。

静かな閨にぽそりと関口の声がした。眠り掛けていた中禅寺をまどろみから引き戻す。

「───あきひこ」

「何だい、まだ眠ってないのかい」

目を閉じたまま返事をした少々不機嫌な声音の中禅寺だったが、関口の気配が近くなった事で覚醒する。直ぐ傍に関口は寄っており、手を膝の上で硬く握り、震えながら俯いていた。

「どうした」

「───寒いんだ」

「────」

中禅寺は問いには答えずに、立ち上がると部屋の隅にある灯りの点いた燭台を持ち、枕元の燭台に火を移した。ようやく暖かげな明るさを得られ、中禅寺は今一度定位置へ燭台を戻す。

「あ、あきひこ、ぼ、僕は」

震える声。中禅寺は関口の元へ戻り、手を差し伸べた。

「おいで、風邪を引く」

関口が中禅寺のてを取ると、中禅寺はそっと関口を抱き寄せた。そして深く息を吐く。関口が恐る恐ると言った様子で中禅寺の背に手を回し、ぎゅっと一重を掴んだ。

「ひ、独りにし、しないでくれ、ぼ、僕を」

応えるように中禅寺は関口に口付ける。

「───巽」

関口の唇を食んだ後、首筋を吸いながら胸元を開き、肩を露にすれば、肌を外気に晒された関口はぶるりと震え、鳥肌を立て、うぅ、と声を漏らした。

「直ぐに温かくなる」

袖を脱がすのももどかしく、其のまま関口の痩せた胸に吸い付き、舌で突起を探し当てると強く吸った。

「あっ!」

びくりと仰け反る上体を背に回した片腕で支え、逃さぬようにして左胸の小さな突起を愛撫した。左手で関口の右胸を弄り同じく指で愛らしい突起を弄る。親指で捏ねてやれば、柔らかかった乳首は徐々に硬さをまして、存在を主張するようにぴんと立った。それを確かめるように指で摘み擦る。

「・・・っ、あぁっ、やっ・・」

中禅寺の言った通り甘い声を上げ始めた関口の肌は熱を持ち始める。優しく爪で下腹から脇の下をするりと撫でられれば関口は嬌声を上げて中禅寺の背に回した手に力を込める。骨ばった彼の背は、力強く感じた。

「そこ、やっ・・・!」

やがて、関口の快感が高まった頃を見計らったように寝巻きの裾を割って進入した中禅寺の手が関口の中心に触れた。熱くなりかけているそこに、彼の冷たい手が触れる。

「ひゃ。。ぁ、つめ、た」

その手の冷たさに思わず声を上げ体が反応する。中禅寺は関口に口吸いをしながら優しく関口の陽物を撫でてやる。手の中で次第に熱を持ち、蕩ける様に体温を分かち合う。中禅寺の手に伝わる体温は関口の血潮の温かさであり、生きている証であった。藤の姫の一件での彼の様子が一瞬脳裏に走り、今のこの温かさに安堵と切なさに目頭が熱くなる。思わず少し力を入れて握れば、びくりと腰を引こうとする関口を怖がらせない様にと慎重に関口の様子を見つつ、中禅寺は耳元で囁いた。

「君の熱で、僕を暖めてくれないか。もっと、君に触れたいのだ」

願う中禅寺の声。

「もっと、君に触れてほしいのだ」

───君と、交わりたいのだ。

局所を愛撫される快感と、中禅寺の甘い声に関口の筋肉が弛緩し、僅かに足を開いた。其処にすかさず中禅寺は体を割りいれる。そっと股を広げさせて関口の腰紐を解き肌蹴れば、袖だけが通っている状態の姿は薄明かりの中、関口の体を白く浮かび上がらせ、あられも無い姿を晒し中禅寺を刺激する。覆いかぶさるように口付けを降らせつつ優しく芯を撫で、次第に高ぶらせていく。再び首筋から胸へ下り、飾りをぐるりと舐め上げ、そして鳩尾、更に下へ味わうように舐めていく。そして、遂に遠慮がちに立ち上がり始めていた関口の芯を口に含んだ。吸い上げ、舌で先端を犯す。手とは違う異質な感覚に関口は驚き目を見開いて半身を起し自分の陽鉾を咥え愛撫する中禅寺を見た。

「や、やめ、そんな・・・!だめ、あき、あっ!」

声を上げ、止めようとするがその直後中禅寺の舌から与えられる痛みにも似た快感に、腰の奥が疼いて其処から背筋へと甘く痺れる感覚が上がり、関口は抗う事も出来なくなった。つま先で褥を擦るように開いた足を悶えさせ、快感の声を上げる。愛撫しながらその嬌声に中禅寺自身もまた、腰奥に鈍い痛みを感じていた。

「たつみ・・・もっとだ、もっと、君の声を聞かせてくれ。その声で、僕の名を呼んでくれ」

再び根元から舐め上げ、湿らせた所でゆるりと手で握り、しごいてやる。

「秋彦、あきひこ・・・ああっ、あき・・・」

快感にうかされた関口の表情を眺め、その肩口に喰らい付き、己の刻印を刻み付けたい程の情欲に奥歯をかみ締める。指で関口の先端を押さえ親指で弄ってやれば、竿を握った手に伝わる関口の鼓動に関口中禅寺は密かに悦びを感じていた。自分の手が彼を乱れさせている。それがたまらなく自分を熱くさせる。関口の腰が揺れ、尻が浮く。絶頂が其処まで迫っていた。

「君の精を、今度は見たい」

あの時は彼の命を助ける為に丹田へと差し戻した彼の精気。だが今度は、迸る彼の精を見たかった。

「ゃ、ああああっ!」

そして一際促す様に陽鉾を擦り、先端を親指の爪で押した。

「あ・・・・・ッッ!!」

その瞬間、関口の体が布団の上で仰け反り、中禅寺の手の中で関口は精を解放した。関口の放った熱を手で確かめながら、中禅寺は優しく微笑んだ。

「ああ、やはり、妻の気をやった表情(かお)は───愛しいな」

「ぁ、ぁ、、、」

気をやって、ひくつきつつもぐったりとなる関口。中禅寺はその髪を撫でてやり、それから抱きしめて頬に唇を押し当て関口の熱を感じる。中禅寺の、昂ぶった自分を抑えようとする深い溜息が漏れた。その溜息を遠くに聞きながら、関口の心は宙を彷徨う。恍惚とした意識の中、

<───気持ち良かったかい>

関口の前に現れた、結界の中に立つ垂れ髪の少年が関口に問う。

<結局、僕は、稚児なのか───それとも今度は、あの人の白拍子になるのか───そして、捨てられるのか>

哀しい響きが関口の心に刺さる。だが、関口は抵抗するように首を横に振り、反論した。

───違う、中禅寺は、そんな男じゃない

<───今度はもう、<身代わり>も居ない。僕はこれで終わる>

関口の反論を受けて、哀れそうに関口を見る結界の中の少年は涙を流していた。罪悪感が関口を貫き、胸の痛みに呻く。それでも関口は少年へと向かって声を絞り出した。

───良いんだ、それでも、僕は、彼の、そ、傍に居たい

<男同士で夫婦(めおと)には、天地開闢からなれないというのに?僕はあの人の妹には成れないのに?それでもあの人を背の君と呼ぶのかい?>

───それでも、良いんだ、僕には────ぼ、僕は、今、まだ、傍に、居られれば、

胸の痛みに膝を地に着き、前に崩れ落ちそうになる。だが、倒れる事無く何者かに支えられた。いつの間にか、関口の傍に寄り添うように振り分け髪の童が居た。

───き、君は

関口の言葉に、振り分け髪の幼子が言った。

『ぼくは、信じてるよ』

結界の中の垂れ髪の少年が深く溜息をついた。そして、哀れむように二人を見ると関口と幼子に背を向ける。

<───僕が引き受けるよ、僕の、───役目だから>

関口と童の周囲に注連縄が張り巡らされた。

暫く気をやって意識を失っていた関口を抱きしめていた中禅寺だが、ふと、関口の気の質が変わった事に気がついた。これは、先日も感じた気だ。

「巽」

「───京極堂」

静かに目を開けて、関口は中禅寺を見た。すべての記憶を知っている、関口の人格。彼を癒さなければ、関口は記憶を取り戻しても何れ崩壊してしまうだろう。

「<君>か。また、起こしてしまったかね。やはり性急過ぎたかな───巽は逃げてしまったか」

中禅寺は関口から離れ、自分の髪をくしゃりと混ぜた。中禅寺の言葉に、関口は微かに眉を顰めた。そして身を起こすと中禅寺を見下ろす。

「───僕では、駄目かい」

思いがけぬ言葉に中禅寺は片眉を上げ、真意を探るように関口を見た。手を伸ばし、

「勿論歓迎だ。言っただろう?あの子も、<君>も、巽も、全て等しく僕の恋しい人だと。<君>とは初夜以来だね。折角君と語り合える貴重な機会だが、今宵はもう君も疲れたろう」

そう言って関口の髪を撫でた。関口はそっと中禅寺の頬に手を当てる。

「───僕を抱きたいのだろう?抱けば良いよ。僕なら大丈夫だから」

関口の言葉に中禅寺が今度は眉を顰める。

「良いんだよ。僕は満足しているのだ、それより横になり給え、風邪を引───」

「僕を知りたいって言ったじゃないか。教えてあげるよ。僕を」

「言わ無くて良い。いいか僕は君を壊したい訳じゃない。君と交わりたいのは本当だが、無理強いして君を傷つける積りは無いよ。それに、今はこうして居たいのだ。そんな顔をしないでくれ。<君>の言いたい事は分かっている。僕が見抜けないと思っているのかい?君の姦計に乗る訳には行かないな」

中禅寺がそう言うと、関口は怒られた子供のような泣き顔をする。主人格の巽も年齢にしては幼い雰囲気だが、この人格は現在の巽の意識下に押し込められた幼い頃の人格だ。自身を守る為に中禅寺に対して大人びた言動を取ろうとしている様だが、所詮は子供、脆過ぎるのだ。

───厄介だなあ

と内心苦虫を噛みながら、中禅寺も起き上がり上掛けを掛けてやる。

「ああほら泣かないでくれよ、僕は怒っていないぜ。ただ<本当に>君の合意の下で無い限り僕は君を抱かない、と言っているだけなのだよ、関口君。───頼むから、僕から君を奪わないでくれないか」

「───ぅ、っく、うぅ、きょ、京極堂、ぅ───」

「<君>が出て来たのは、僕から君自身を護る為だ。<君>ならば───閨事が如何な物か君の人格の中で一番良く知っているだろうから、つまり───」

関口の涙を指で拭ってやりながら少し残念そうに、中禅寺は苦笑した。

「<君>は巽の身代わりとして出てきたのだろう?<君>が一番傷ついている筈だろうに。まかり違って僕が君の挑発に乗って君を抱いたとしても<君>が全部閨事の記憶を抱え込み、目覚めた関口君はまるきり覚えていない筈だ。───下手をすれば其の侭<君>は暴発し他の人格を道連れに自滅する積もりだったのだろうが。君の考え位お見通しだよ関口君」

図星だったのだろう、関口が俯いて目を伏せる。長い睫毛が目元に影を落とす。

「だ、だって、これは<僕>の役目なんだ、あの子達じゃ、、、僕が、僕でなければ」

「僕は君を稚児にする積もりも白拍子にする積もりも無い。君という伴侶が欲しいだけだ」

中禅寺は関口を抱き寄せた。桔梗丸。再会を焦がれ探し続けた愛しき少年。十年余りの時を経て漸く再会果たせたものの彼は傷つき壊れかけ、彼自身を否定し己の一部を封印し忘却していた。全ての記憶を知る人格───桔梗丸は常に中禅寺を恐れ、警戒し、巽を支配し、中禅寺の介入を拒み、表層に現れてもその<名>を呼ばせてもくれない。

───それでも、この手を離す事など出来ぬ。この温もりを二度と離しはせぬ。

関口を抱き締める手に想いが伝わり力が篭る。関口が強く抱き締められた事にびくりと反応した。

「────京極堂」

顔を上げ、中禅寺を見上げる関口だが、抱き締め続ける中禅寺の胸の温もりにやがてそっと腕を中禅寺の背に回した。

「────あぁ、そうかぁ───貴方は、違うんだ、似ているけれど、違うんだ」

「何がだい?」

「────貴方なら───彼に───任せられるかな────」

中禅寺の問いには答えず、そう言うと関口の体からぐったりと力が抜けた。

「関口君?おい?───眠ったのかい?」

「────中禅寺」

ややくぐもった何時もの声が返って来た。巽の声だ。理由は分からないがどうやら桔梗丸は意識を沈めたらしい。

「巽」

「僕、眠ってたのかい?」

「あぁそうだ。ほら、まだ朝には早い。もう一眠りしよう」

関口を横に寝かせ今度こそ眠ろうと中禅寺は思った。これ以上関口に負担をかけられぬ。それに自分自身も心身ともに限界だった。関口に上掛けを掛けてやり

「お休み、巽」

そう言って枕もとの明かりを消そうとした時だった。

「あきひこ・・・」

関口がそっと手を中禅寺の袖を引いた。

「何だい。灯りを消すから眠り給え」

「───でも、君が」

「僕が?」

「まだ、だよ」

「?」

訝しげに関口を見下ろす中禅寺に微笑みかけ、関口は体を再び起こした。

「巽」

「ぼ、今度は、その、ぼ、僕の番だよ、秋彦」

一瞬<彼>の人格が再び現れたのかと中禅寺は疑い、関口を観察する。だが、関口はばつが悪そうに少し俯き、もじもじと中禅寺の袖を弄った。

「君の番って、何が」

まさかという期待が脳裏を過ぎるが、それを振り払い無表情を決め込んだ。

「な、何って、そ、そりゃ、その、だ、だって、三日夜じゃないか」

「確かに三日夜だが、もう餅も食ったじゃないか。それに君だって疲れているだろう。明日も朝からやる事はあるのだ、もう寝給え」

「う、だ、駄目なんだ、それじゃぁ、僕は」

「何が駄目なんだ」

「き、君、と、君を、い、ぃいいから!」

吃音が酷くなり上手く話せず真っ赤になった関口は両手でぐいっと中禅寺の袖を引っ張り、中禅寺は体制を崩して褥に尻餅をついた。

「おい、何が良いんだ───っ───馬鹿者、危ないだろうが!燭台を倒したらどうす────」

怒鳴ろうとした中禅寺は、関口の行動に息を呑んだ。両肩を掴まれ関口の顔が直ぐ側に迫ったかと思うと唇を塞がれていた。

「っ、───秋彦、や、やっぱり、僕じゃ、い、いや、なのか」

顔を離し、僅かに首を傾げて不安げに中禅寺の顔を見る関口。思わぬ行動に虚を突かれたが、直ぐに中禅寺は関口の後頭部を抱え込むように関口の其れより深く口付けを返した。

「ふふ、嬉しいに決まっているじゃないか」

耳元で囁くと擽ったそうに肩を竦め、

「そ、そうか、よ、よかった───」

とはにかんだ。それから中禅寺の肩口に口付ける。さっきとは打って変わっての緩慢な動作でゆっくりと首筋に口付けをする関口。中禅寺はその艶めかしさに体が疼いた。そこへ、関口の手が優しく中禅寺の下腹を包み込む。


「巽、無理するな」

「だ、大丈夫だよ、き、君だってやったじゃないか」

「そんな所で張り合う必要は無いだろうが」

言い返しつつも中禅寺は注意深く関口を観察する。もしかして<彼>が成りすまして居るのか。しかし、今の<気>は確かに関口のものだ。しかしあれだけ行為を恐れていた関口が急に閨事を自発的に行うなど些か狐狸に摘まれている様だった。慎重に関口の気を読み取りながら、中禅寺は関口のするが侭にさせた。心の底で関口が自主的にしてくれるのなら───その生理的欲求も否めなかった。

「そ、それに、た───確かめたいんだ」

中禅寺は、真剣な眼差しでこちらを見る関口の両頬を両手で優しく挟み込み、口吸いし舌を絡めた。唾液が溢れ、糸を引く。やがて関口が離れ少し乱れた呼吸を整え、そのまま屈み込む様に中禅寺の一重の裾を捌く。

「あぁ、よ──よかった」

ほっとした様に呟くと胡坐の中心で既に昂ぶっている中禅寺の雄をそっと撫でた。多汗症の関口の手はしっとりと汗で濡れ、ひんやりした感触が直接伝わり、反射的にどくんと鼓動を打つ。少し腰を引いた中禅寺をはっとした顔で見て

「つ、冷たい?、ご、ごめん、て、手が、」

慌てて手の汗を自分の一重で拭くが、緊張の所為で余計に汗が噴出し、焦る関口。

「あぁ、手が冷えて冷たかっただけだ。濡れている方が具合が良いのだ、拭かなくて良い」

中禅寺は安心させる様に言うと、

「気持ちだけで十分だ、嬉しいよ」

と悪戯っぽく笑んだ。だが関口は首を振って

「そ、そんなんじゃ駄目だ、だって、き、君のを、見てない、」

焦った様に両手で中禅寺の鉾を握った。

「は?───うっ!?───お、おいっ、こ、殺す気かっ」

関口の言葉の意味を考える前に思い切り急所を握られる圧迫感に思わず呻く。

「あ、あっ、ご、御免!そ、そんなんじゃ、え、えっと、」

そう言うと関口は今度は頭を下げて中禅寺を咥えた。

「ぅ・・・ぅっ!!!」

深く咥えすぎたのか喉から苦しそうな呻き声を発し、躊躇したのか一度口を離す。しかし、意を決したように再び咥えなおした。だが、肩が震えている。咥えた唇の僅かな震えを感じる。

「巽、もう良いから無理するな!」

突拍子も無い行動に呆気に取られて居た中禅寺だが我に返り関口の肩を押して引き離す。関口の顔色は嫌悪からか色を無くし、手先が目に見えて震えている。それでも関口は引き下がらなかった。

「い、嫌だ、させて。これ位しか出来ないけど、君が、ぼ、僕を、ほ、本当に好いているのか、確かめたいんだ、そ、それとも、やはり、やっぱり───僕じゃ駄目なのか」

「全く何度言わせるんだね君は───疑り深さだけは天下一品だな。こんな事は君以外の誰にさせるものか」

辛かろうに───嫌う所か愛おしさに胸が締め付けられる。抱きしめ、言い聞かせるように強く声を発する。臆病な癖に頑固な男だ。此処まで言うならば気の済むようにさせた方が良いだろうと判断し

「分かったよ、好きにし給え。だが耐えられなくなったら直ぐに止めるんだぞ」

と確認した。

「うん───分かった」

中禅寺の許可を得て安堵したように微笑んで、関口は再び中禅寺を咥えた。初めはおっかなびっくり愛撫する関口だったが、次第に卑猥な音が響くようになった。そうなって来ると関口の息遣いと、舌使いが絶妙に的確に中禅寺の快楽を突いて来る。上手いのだ。生まれてこの方夜の営みなど知らない様なこの男は、その実過去に稚児として何人もの僧侶や豪族に奉仕し抱かれ育っているのだ。幼い彼の小さな口はどれだけの男達に汚されて来たのか。記憶は忘れていても体が覚えている、自分の関与出来ぬその事実が視え、中禅寺は歯がゆく思いながらも実際に関口から体に伝えられる快楽に溺れそうになっていた。

「───巽、」

掠れた中禅寺の声を聞き関口は中禅寺の表情を確かめると鉾を再び咥え、根元から茎を舐め上げる。中禅寺の尻に力が入るのを手で促すように撫でて、先端を舌で絡め取るように抉った。その刺激に中禅寺の全身に波が走り、関口の口の中に中禅寺は吐精した。

「────っ」

「・・・・ん、ぅん・・」

精を飲み込み口元を拭いながら、安堵が浮かんだ表情で微笑んだ。それはなんと色に溢れた仕草だろうか。中禅寺は抱きしめて背中を労わる様に優しく叩いてやる。関口はおずおずと顔を上げ、中禅寺に問う。

「ど、どう、だった、かい?」

中禅寺は関口の乱れた髪を指で梳きながら、しっとりとした声音で囁いた。

『児持山(こもちやま) 若かへるでの もみつまで 寝もは吾(あ)は思ふ 汝(な)は何(な)どか思ふ』

(児持ち山の楓が真っ赤に色付くまで僕は君と共寝をしていたいんだが、君はどう思うかね)

それを聞くと安心したのか関口は精魂尽いたように、そのまま凭れて眠りに入っていく。<彼>が出て来るかと警戒したがその様な事は無く、中禅寺は暫くあやす様に抱きかかえ寝入ったのを確認すると関口を横たえて軽く口付けると、抱き寄せたまま満足げに眠りに付いた。

夢現の狭間で関口は、注連縄に気づく。その先にはあの少年が此方を見て居た。

────君が────そうあるならば、そうあるように────そうしたら、僕も────

関口は少年に声を掛けようとしたが、少年が微かに微笑むと共に意識が闇に落ちた。



外からもれ聞こえる楽しげな話し声に関口が自然に目覚めると、夜はすっかり明けており御簾の隙間から朝の眩しい光が漏れ入る。眩しいなと思いながらぼんやりと目線をさ迷わせて気付く。横に中禅寺は居ない。

「あ、あきひこ・・・ちゅ、中禅寺っ!?」

───昨日は、えっと、た、確か、え、み、三日夜で、う、ぼ、僕は───

混乱して暫く頭を抱えていた関口だが、兎に角横にもう一つ枕が有るから中禅寺が来ていた事は間違いないと結論を出し、もたつき乍も慌てて脱げていた寝巻きを羽織り、御簾を上げて部屋から飛び出す。

「ど、どうしよう、中禅寺もう出仕し───て───」

「おや、随分とゆっくりなお目覚めだね我が妻君。まあ昨夜は頑張ったからねぇ───大目に見ようか。辛かったらもう少し休んでいても構わないぜ」

「えっ・・・え、なに・・・???」

其処には狩衣姿の中禅寺が鳥口の酌を受けて居る光景が。状況が理解できない関口は呆然と二人を見る。固まる関口に、中禅寺が肩を竦めて声を掛けた。

「起きるのならばそんな所でぼんやりとしてないで着替えて来給えよ。公達たる者人前では烏帽子くらい被りたまえ。色めかしいのは良いが、もうすっかり朝なのだぞ」

何時もの小言ではあるがいつに無く機嫌良さそうな中禅寺。

「先生、お着替えは枕元に置いときましたから、早く着替えてきて下さいよぅ」

よく見れば新調したのだろうか、真新しい雰囲気の狩衣を着込んだ鳥口はすっかり出来上がっているのか、杯を持ってへらへらと調子よく言う。

「───!!」

鳥口の存在に我に返り真っ赤になって御簾の奥に引っ込み、バタバタと着替え始める。そんな様子に鳥口は愉快そうに笑いつつ、

「ほんと、僕より年上に見えないんですよねぇ、先生のああいう所」

「全くだな。君の方が余程出来ているように見える」

「うへぇ、陰陽先生に褒められるのもなんか照れますねぇ」

「ぼ、僕を肴にしないでくれっ!と、鳥口君、笑ってないでちょ、ちょっと手伝ってくれよ!」

「うへぇ、僕がですかぁ!?止して下さいよ、こんな日にそんな事したら僕ぁ陰陽先生に殺されちゃいますよぅ」

「君って奴は、本当に胡乱過ぎて呆れて物も言えんな!狩衣位自分で着給え!!大体君が肴になるような事をしているからだ、少しは鳥口君を見習って生活を改めたまえ」

「だ、だって、うぅ、うぁ!!」

どたんばたんと倒れる音が続くので、とうとう鳥口が根を上げた。

「あー、はいはい分かりました、手伝いますから先生もうじっとしてて下さい!」

鳥口が許可を得る為に中禅寺を見れば中禅寺は目頭を押さえ乍、仕方が無いと頷いた。鳥口のお陰で何とか着終えて宴の席に参加する事が出来た。

「すっかり手間を掛けさせてしまったね鳥口君」

「いえいえ、もう慣れてますから気になさらず」

「きょ、今日は君も休みなのかい?出資してないって事は───ああ、午後からだっけ?」

「なに言ってるんだね。こんな大事な日に仕事など行くか」

「・・・?」

中禅寺は、素で不思議そうな顔をする関口に、心底呆れたようにがっくりと溜息をついた。

「はぁ、まったく。三日夜の餅の後は、露顕(ところあらわし)だろう?妻の親族と食事をするのだ。この時を以って男は嫁の親族と対面し、舅姑と顔を合わせ義理の親子関係を結び、そして内外に夫婦となった事を正式に知らせるのだ。この屋敷に居る君の親族と言えるのは鳥口君だけだからね、こうして彼とも親族となる宴を催しているのだ」

関口は呆然となった。いや、良いのだ、儀式事態は間違っていないと思う。間違っているのは。
<夫も妻も男だ>という事なのだ。

「お披露目も何も、僕らとっくに顔見知りじゃないか・・・」

「馬鹿だな君は。こういうのは形なんだから一々詰まらないケチを付けるんじゃないよ」

片眉吊り上げて軽く睨むので、関口は首を竦めた。

「ほらほら先生も一緒に食べましょうよ、美味しいですよ!陰陽先生がお祝いの御膳とか色々届けて下さったんですよ!それにほら、見て下さいよ!僕にもお祝いの席だからってこの狩衣下さったんですよ!」

鳥口が無邪気に膳を勧め、狩衣の両袖をひらりと見せびらかす。この男は、面白ければ良いと言う所があるから、きっとこの事態も面白おかしく楽しんでいるに違いない。悪気の無い男ではあるが、今回ばかりはどうにもからかわれて居るようで、居心地悪く感じる。

「う、うん・・」

重湯をすすり、ふう、と一息つく。中禅寺がその様子をじっと見ているのに気がついて、真っ赤になって俯いた。

「いやあ、初々しいですねぇー!!見てるこっちも恥ずかしくなって来ますよ!!」

すっかり出来上がっている鳥口がへらへら笑っている。

「ば、ちょっ、鳥口君っ、君ねぇ!」

「照れてる先生も可愛いですねぇ、ね、陰陽先生!」

「当然だ、僕の妻だぞ」

「ぶふっ!!」

「うへぇ!あーもう先生ッ!飛ばさないで下さいよ!!」

「全く落ち着きが無いな君は」

こうしてささやかな宴を催し、二人は夫婦・・・となったらしい。関口一人、何かが違う、これで良いのかと悶々と悩んでいたが、そんな思いはすっかり無視されて夫となった陰陽師と妻の親族の青年は和やかにその日、一日中祝宴を楽しんでいた。

結局、関口はこの祝宴に殆ど何も出すことは無く、その費用は中禅寺が全部出していた。本来、婿取りの一連の儀式に掛かる出費は妻側が出し、その後の生活費用も妻側が持つのだが、彼らの場合は中禅寺の意向で全て彼がお膳立てしていたのだ。まあ、仮にも男を無理やり妻にしたいと言い出したのは中禅寺であるわけだから当然と言えば当然なのだが。妙にその辺の所に細かい関口はなおも確認するように聞く。

「・・・中禅寺・・・これって、本当に冗談とかじゃないんだよね」

「ここまでしておいてまだ冗談とか言うのかい君は」

眉間に皺を寄せしつこいなと言う顔をして言う。

「だ、だって、その、僕らが同性だって言うのを百歩譲ってだね。君が婿だと言うなら、つ、妻たる僕の家には君を養う財力も後ろ盾もないんだ、どうするんだよ」

「だから君が心配する事にはならないと言っただろう。北の方なんだから、僕が養うに決まってるじゃないか」

「だ、だから、それは、せ、正妻は、ちょっと拙いんじゃ、」

「君には何れ僕の屋敷に来てもらうよ、いいね」

「・・・えええっ!?おい、ちょ、ちょっとそんなっな何言って、」

「僕はこれでも愛妻家なんだ。愛する妻の元へ通うのも良いが、やはり共に暮らしてこそ夫婦じゃないか」

「ぇぇ───?」

関口は呆けたようにへたり込んだまま、何時もの如く書物を読みながら干菓子を摘む<夫>を見ていた。

-十二話・了-
-続-

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