平安朝百鬼夜行

第二話:邂逅ノ二
 〜関口・木場・榎木津・中禅寺〜


「君は、猿に似ているね」

開口一番、嬉しそうに天上人は言った。

「猿君!猿がどうやって絵を学んだか不思議で仕方ないが、僕はこの絵が気に入ったから君をお抱え絵師にしてあげよう!神の慈悲を有り難く受け取り給えッ」

何をこの男は言っているのだ・・・。何の事か分からず呆然としていると、木場が僕の頭を床に押さえつけた。

「馬鹿、有り難く平身低頭しろッ」

「あぁ、う、うぅ・・・あ、ありがた・・ありが・・・」

ああ、言葉が出てこない、上手く顎が動かない、頭が真っ白になる、血が逆流する、ああ僕はこのまま殺されてしまうのだろうか、ああ、所詮僕はこんな運命なのだ・・・。

「おい確りしろ、大丈夫かっ」

木場が僕を今度は抱えあげ頬を叩いた。

「緊張の余り吹っ飛んじまってるな・・・」

やれやれ、そういって溜息をついた。

「無理もネェ、いきなり掻っ攫われて帝の御前に引き出されりゃ庶民じゃ普通こうなるさ」

そんな二人の元に帝はズカズカ遣って来て、目を開けたまま呆然と自失している小男を小突いた。

「なんだ、気絶したのかこの猿は一人前にッ。それじゃ面白くないぞ起きろ猿、猿、小猿ッ」

「おめぇの刺激が強すぎんだよ!」

ふと、絵師を半目で視ると、帝は木場を見上げて言った。

「・・・・おやこの猿、由良の変態親父と会った事があるのか」

「ん?公卿のか。確か引退して久しいんじゃネェか?」

「ふぅん、まぁいいや。とりあえず、小猿は此処で休ませてやれ」

「此処かよッ!?それじゃ休まらネェじゃねえか!!」

「当たり前だッ猿の寝顔を見たいからなッ」

よれよれの色白で貧相な小猿は、半ば気を失ったまま木場に両肩を掴まれている。
帝の命で小姓が布団を敷いてやり、そのまま寝かされる事になった。
布団に寝かされると、精神の糸が切れた絵師は小さく丸くなって意識を手放した。その姿は小動物のようだった。

「面白いなぁ、色んな景色が見えるぞ。おぉ、海だ!海猿だ!」

榎木津は関口の記憶を視ているらしい。昔から変な力だとは思ってはいるが、幼馴染である木場はもう慣れたもので受け答えも至極当たり前に返す様になっていた。

「風景を描く絵師みたいだからな、彼方此方行ってるんじゃネェのか?」

結局木場も付き合わされる事になったらしい。

「従五位下辺りの位を与えてやれば、いつでも此処へ来れるな」

榎木津はニヤリ、と笑う。

「猿で下僕でお抱え絵師だからなー、何なら此処に住まわそうかな、うふふ」

「馬鹿言ってんじゃネェよ、そんな事したらコイツ壊れて死んじまうぞ」

「それは困る、ツマラナイじゃないか」

木場の言葉に榎木津は口を尖らす。

「お前の興味本位の下らない行動一つで、人一人所か家一つ崩壊するんだぞ、自重しやがれ帝よぉ」

眉を顰めて諭す。

「ふん、碁盤男は頭が固くていけないな!」

「ンだとテメェ」

「・・・・この猿君の絵は、実に細密に描かれている。あんな小さく描かれた朱鷺ですら、雄雌子供の区別が付く位にね」

「・・・」

「それだけじゃなくて、彼は物の本質を描いている」

「本質?」

「その物の在り方だ。絵だと言うのに、本当に羽ばたいている様じゃないか。生気を感じる」

愉快そうに言う。

「こんなドモリで貧相な猿が描いているとは一見思えないぞ」

と、鼻をつまむ。男は眉をしかめて「ん・・・」と唸り、顔を背けるが目を覚ます気配はない。
長い睫が僅かに震える。無精髭を剃れば幼く見える顔立ちだ。

「・・・・まあな」

その様子を見ながら、木場も同意した。

「ふぁあ、猿の寝顔を見てたら僕も眠くなった、ねむねむだ!」

ごろんと横になり。

「おい、ちょっと、礼二郎・・・っ」

止める間なく帝は寝息を立ててしまった。

「俺、帰りてぇんだがな・・・」

そろそろ陽が傾きかける頃、木場も女官が気を使って持ってきた酒をかっくらって柱に凭れて舟を漕いでいた。夜警明けにも関わらずこの帝に振り回され、まだ若く体力も充実しているとは言え流石に疲れていたのだった。

そして一方、この帝の間へ向けて一人の男がこちらへ向かっていた。

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黒い直衣を身に纏った男が一人、紫辰殿を進んで来る。
闇から抜け出て来たようなその男は音も殆ど立てずに、その部屋の前に立った。

「・・・今上、中禅寺参内まかり越してございます」

静かなしかし良く通る声で自分の来訪を告げる。・・・が、しかし返答はなかった。

「・・・・」

ふぅ、と鼻で溜息をつく。眉間に深い皺が刻まれる。

「また昼寝でもしているのか・・・怠慢な」

人払いもしてあるのだろう、いつもなら女官か次侍従の和寅が取り次ぐが、それも無い。人払いをすると本当に近くから姿を消さないといけないのだ。この帝の場合。

「やれやれ、入りますよ、帝」

自分で御簾を上げて室内へ入ると、其処には布団に寝かされて丸まっている見知らぬ小男と、その横で大の字になって寝ている帝と、柱にもたれて豪快に鼾を掻いている木場の姿があった。

「・・・・何なんですかこれは」

まあ、帝と木場は良いだろう、良くある事だ。だが、この貧相な小男はなんだ?眉間に皺を寄せて男を眺める。凶悪な様相はまるでつい今し方、都が滅びてしまったかのような表情だ。

「布団を敷いて寝かされている所を見ると、帝の客では在る様だが・・・」

布団の枕元に腰を下ろす。着ている物から判断するに、到底此処へ上がれるような身分の物ではない。無精髭、白い肌、下がり気味の眉、頭の大きさに比べて大きく感じる耳、そして長い睫。およそ精悍とは言い難い顔立ちだ。
疲れたような寝顔。だが、何処と無く愛嬌も感じさせる、とふと思った。そして、不思議な事に帝を起こす事も忘れていつの間にかその寝顔に見入っていた。

すぅ、と御簾の間から夜の帳と共に涼しい風が絵師の頬を撫でた。

「ぅ・・うぅん・・・」

身じろぎする。長い睫が震え、その瞼が薄く開かれた。

「鳥口君・・・そろそろ、格子を閉めよう・・・」

聞き取りにくいくぐもった声で目を擦りながら、小男は上体を起こした。

「あれ、鳥口君、ねてるの・・か・・・ぃ・・・」

顔を上げて、虚ろな視線ではあるが、枕元に据わる凶悪な人相の黒い男と目が合う。

「・・・・ぁ、だ、だれ・・・・?」

「誰とは失礼だな、君こそ誰だい」

帰って来たのは良く通る威圧感のある声。瞬間、泡沫の世界から現の世界へ引き戻される。

「・・・ひぃっ!?」

恐怖に駆られて後ろへ飛び下がる。此処はどこだ、僕は、僕は・・・ッ。見回した視界に入った寝ている木場に慌てて縋り付く。

「き、木場さま・・・木場さま・・・ッ」

ゆさゆさと揺らす。木場がそれに反応した。

「ん・・・おぉ、おめぇ起きたのか」

「ね、ねぇあの、僕、どうして・・・」

真っ青な顔をして木場に縋る。

「おぃおぃ、なんだ覚えてねぇのかよ!」

割れ鐘のような声で哀れな男を一喝した。

「だ、だって。。。ッ、僕は・・・!」

直後、

「猿!起きたんだなっ!!!来い猿!!!わははは毛繕いしてやるぞ!!」

がばっと帝が起き上がったかと思うと、木場に縋っていた男の襟首を掴み自分の所へ引きずり寄せて頭をわしゃわしゃやりはじめた。

「ひぃい!?や、やめて下さい、み、帝ぉーーーッ!?」

目尻に涙を溜めながらささやかな抵抗をするが、そんな物は帝にとって端から抵抗の部類には成らないのだった。
そして遂に、黒尽くめの仏頂面の男が、帝と木場に向かって口を開いた。

「好い加減私の存在に注目して欲しいものですがね」

「お、京極堂じゃないか」

「お、真っ黒博士来てたのかッ!」

「・・・居ましたよ、さっきからね。まあいい、その男は何者ですか?」

顎で榎木津にぐしゃぐしゃにされている小柄な男を示して問うた。

「猿だ!!見たままじゃないかッ!絵を描く猿だぞ!!」

相変わらず帝は猿を連呼している。聞いても無駄だと悟って京極堂は木場に向いた。

「絵師の先生だよ、名前は聞いてなかったなそういえば、おめぇ、名は?」

「・・・・せ、・・せ、関口・・・関口巽です・・・」

「そうか、関口先生だな!」

「そうか!関猿だな!!わはははは!」

わしゃわしゃと更に髪をくしゃくしゃにされる。黒衣の男はその様子を横目で冷ややかに眺める。

「あの、僕そろそろ帰っていいですか・・・ッ」

居た堪れなくなって関口は暇乞いをしたが、

「ダメだ!まだ遊び足りない!!」

と帝に一蹴される。

「ぇっ、ええええっ。。。!そんな・・・っ」

もう泣きそうである。その後も散々弄られまくり、悲鳴を堪能された関口がぐったりした頃、まるっとそんな様子を無視して帝は言い放つ。

「関猿君には、重要な任務を与えるのだ!ご主人様たる神からの任務だからな、勿論受けるのだ!」

木場も、京極堂と呼ばれた黒衣の陰陽師もその言葉に帝を注視する。

「・・・に、任務・・・・?」

何とか自我を保ち、問い返す関口。

「そうだ!植物や鳥や動物を描くのだ。それを編纂して辞典にする!」

「辞典・・・」

「それが君の第一の仕事だ!それから僕の第一下僕として確り励む事だ!どうだ!名誉だろう!喜ぶがいい!」

「・・・ちょっ・・・」

二の句が告げない関口をわしゃっと弄ると、榎木津は不意に関口を解放した。

「期待しているぞ」

美しい笑顔で告げると立ち上がり、「寝る!」とズカズカと奥の間へ行ってしまった。呆然と見送る関口。

「・・・・あの、僕は・・・どうしたら・・・」

木場の方を見て関口は問うた。

「んぁ、もう帰ってもイイってこったろな」

木場の返事はそっけない。

「・・・そうですか、じゃあ、帰ります・・・」

木場と、京極堂へ礼をとると、関口は部屋を辞そうとした。しかし、廊下へ出たところで固まってしまった。

「・・・あの」

もそもそとした声で、振り向きつつ二人へ問う。

「どうやって、帰ればいいんでしょうか・・・」

その様子に呆れたように、黒衣の陰陽師は見上げた。

「君は」不機嫌そうな顔で口を開きかけたのを木場が割って入った形になった。

「おぅ、そういやそうだな!忘れてたぜ!!よし、家まで送ってやろう」

木場が立ち上がって関口の横に立ち、それから京極堂へ向いた。

「んじゃ、こいつ送って俺も帰るわ」

京極堂の眉間に皺が刻まれる。立ち上がりつつ、

「・・・・僕もお暇しますよ。居ても意味がない」

こうして三人連れ立って清涼殿を辞した。

「君は絵を描くのかい?」

京極堂が関口に問う。びくっとして関口は京極堂を見上げ、目線を一瞬だけ合わせ直ぐに目を逸らし、失語症になったまま首を縦に振った。京極堂はそんな様子をムッとして見下げる。

「そんな態度じゃあこの宮中で碌な働きも出来まい。早々に帝に辞退申し上げて市井に戻るが良かろう」

「ぁ・・うぅ・・・」

真っ青になり泣きそうな顔になる。関口とて、出来ればそうしたい。だが、帝の命を断ればそれこそ命だって無いだろう。
この黒い男はそんな事も分らないのだろうか、いや、帝に対してそういう事を言える位凄い立場なのかも知れない。
この人の機嫌を損ねたらそれこそ自分はどんな目に会うか分からないだろう・・・。
などと胡乱な頭で必死に思考をするのだが、それがこの状況の解決には一切ならない事に本人は気づく余裕が無い。

「まあ待てよ、この先生の絵は中々のものだぞ。礼二郎が直々に絵を見て気に入ったんだからな」

見かねた木場が助け舟を出す。京極堂は木場の言葉を聞き、興味を持ったようだった。

「ほう?ならば一度拝見させて頂きたい物だね」

「それが良いな、先生、今度こいつに見せてやりな」

「ぇ、でも・・・」

「でもじゃネェよ、帝直々に絵を描く仕事を賜ったんだからな、自信持ちな。しっかりしろよ先生」

泣きそうな縋る目で木場を見上げる関口の肩を叩いてやり、励ます木場。大きな厚い手の重みが関口の不安を軽くさせた。

「第一に、この俺があんたの絵を見初めてあいつに紹介したような物なんだぜ?少なくとも、俺は先生の絵を気に入っている。
今度は習作じゃなくて完成したのが見てぇな」

「あ、は、はい・・・が、頑張ってみます・・・」

「おぅ、楽しみにしてるぜ」

木場が歯を見せて笑った。純粋に褒められて、関口の心は浮上した。木場の言葉は真っ直ぐで力強く、素直に受け取る事が出来た。
木場の笑顔を受け、柔らかく安心したように変化した関口の表情を見て、京極堂の感情が小さく揺れたことに、誰も気づいていない。
-続-

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