平安朝百鬼夜行

第四話:観月の翌朝


観月の宴は滞りなく行われ、一夜が明けた。夜半を回って宴はお開きとなった。
まだ一部のものは酒宴となって会場で騒いでいるが関口は早々に引き上げることにした。
京極堂に呪(まじな)いをかけてもらったおかげか、関口は何とか自分の出番を無事にやり過ごす事が出来、
一応の評価を貰ったようだ。
榎木津は満足そうに関口の所にやってくると、『今日は泊まって行くのだ』と命令され、
其のまま関口は閨に連れ込まれ帝が寝るまで按摩させられた。

「うぅ・・・」

筋肉痛だ。両腕の鈍い痛みに浅い眠りを邪魔されつつ、朝を迎えた。
腹の上に帝の足が乗っているのを、何とか下ろして、御簾を潜って廊下へ出る。
まだ明け方前。星空もまだ瞬く薄闇のぼんやりとした景色。
上掛けを被って廊下でそのまま眠ることにした。両手は胸の前でちぢこまり、足も縮め、
赤ん坊か小動物が眠っている姿で。やっと、安堵して眠れる。


「・・・なんだ猿、こんな所で寝たら風邪引くじゃないか」

関口が寝入って暫くした頃、榎木津は横に居たはずの暖かい体温が居なくなった事に気が付き、
探しに御簾を持ち上げたところ、廊下に丸くなって眠っている関口を見つけた。

「・・・」

しゃがんで、その眠る関口をじっと見る。
睫の長い白い肌。無精髭が生えているが、よく見れば幼い顔立ち。他人の寝顔を見た事が無い訳ではない。
一応後宮と言う物が有り、女御や更衣が何人もいる。正妻(中宮)は榎木津の意向で異例な事ではあるがまだ決まっていない。
だが一応、娘を出世の足掛かりにしようと後宮に入れた貴族達の面子の手前、定期的に後宮通いもしているから女の寝顔は見ているのだ。男の寝顔で記憶に有るのは精々竹馬の友である木場の顔くらいである。

「・・・ん」

不意に、眠る彼に見えたもの。

「何だ、昨日京極堂と会って居るのか。成程呪いを掛けて貰ったのか。それで昨日は上手くやったのか」

情景を思い出して榎木津がくすくすと微笑む。

「僕は猿が真っ赤になってしどろもどろになっている所を見たかったんだけどな」

そう言って頭を撫でてやる。柔らかい猫毛だ。

「京極堂のやつ、口では邪魔だとぬかすくせに関猿に興味津々じゃないか。天邪鬼め」

昨日見た京極堂の記憶を思い出す。廊下で1人泣いている関口が映し出された。
いつも京極堂の記憶には、泣いて居たり一人でボーっとしている関口の姿が映る。
話し掛ける事は殆どしないようだが、どうみても頻度が偶然では有り得ない回数だ。

「可愛い寝顔だけど、やはり此処では朝露が付くな」

と、関口を抱え上げて閨へ連れ戻す。直衣を脱がせて単だけにし、寝易くしてやった。
朝露が付いた上掛けを、自分の渇いたものと取り替えて掛けてやる。

「神の寝床を貸してやろう、有り難く思いたまえよ」

ふふ、と笑んで。そんなに間をおかず、榎木津は関口の横でまた寝付いた。


京極堂が、帝の元へ遣って来たのはそれから暫くのことだった。
陰陽師の朝は早い。既に仕事は済んでいるのだ。後は帝に本日の占を告げ、
行動指針を伝えるのみである。

「今上。おはようございます。中禅寺、参上いたしました」

返事が無いのは分かっているのでさっさと御簾を上げる。
見れば、帝の寝所に関口が丸くなって寝ているではないか。
肝心の帝は床に大の字になって寝ている。
どういう事だ。管弦の宴に出たのは知って居るが、あれだけ早く帰りたがった関口が何故帝の閨で寝ているのだ。
しかもこれでは後朝の・・・・。

「帝、関口君。・・・・起きなさいッ」

「うるさいなあ、猿君が起きちゃうじゃないか」

京極堂の一喝に榎木津がむくりと起き上がり文句を言う。

「猿君はお疲れなのだ。昨夜一晩中僕に付き合わせたからな」

途端に京極堂の眉間に皺が刻まれる。その様子を榎木津は見逃さない。

「・・・・」

「何だその仏頂面は?気に入らないって顔だな」

嬉しそうに帝が言う。

「別にどうでも良いですよそんなことは」

眉間の皺を深くして一蹴する。そのやり取りに、関口の意識が眠りから覚めた。

「あ、あれ・・・」

「おはよう猿君。風邪引きそうだったから連れ戻してやっておいたぞッ」

「えええっ!?だ、だって帝・・・ッ」

確かに廊下で寝たはずなのに単姿で帝の上掛けに包まれている自分に、関口は軽く混乱した。

「猿は軽いな、軽々抱けたぞ?体も細くていけない。もっと良いものを食べろ。抱き心地が良くないからなッ」

「だ、抱きごこ・・・ち!?」

「・・・・」

関口は真っ赤になって口を池の鯉のようにパクパクしている。京極堂は片眉を吊り上げて居る。

「そうだっ!こう抱き寄せてだなっ!」

言うが早いか羽交い絞めにして後ろから首筋に顔を埋める。耳に息を吹きかけてぺろりと舐めた。

「やっ、やめてくださいよっ・・・・!!ひやぁっ!?」

真っ赤になってじたばたするが、関口の力では到底榎木津には叶いはしない。

「やめっ、やめてぇっ!み、帝〜〜〜ッ、うぁあぁ、っんっ」

「うーむ、猿君の啼き声は中々素敵だね」

弄られて涙目になって懇願するのを満足そうに眺める帝はニヤリとその視線を自分達を氷のような視線で
見ている陰陽師に向けた。

「どーだ、京極堂羨ましいだろー?」

眉間の皺が、一層深くなった。その顔はその存在自体で呪いが掛かりそうな、普通の人間が見たらもう卒倒するかも知れぬ。

「・・・・帝」

「なんだ?」

「貴方は今日から一週間<物忌>です」

地獄の其処から聞こえてくる様な声で忠実にあくまで忠実に職務を全うする陰陽師。
物忌。公事、神事などにあたって、一定期間飲食や行動を慎み、不浄を避けることをいう。
貴族などは物忌み中はだいじな用務があっても外出することを控えた。物忌み中の人は
家門を閉ざして、訪客がきても会わず、行事にも出席しない。
帝の物忌の場合は、帝は清涼殿を出ず、殿上人は宮中に宿直する
か、逆に忌が明けるまで参内できないことになっていた。

「・・・む、外に出れないではないか!詰まらない!!まあいいか、関君はこのままいて僕の相手をすれば良い!」

「それから関口君は方忌みです。本日より5日間殿中への方角が悪い。早く屋敷に帰って準備し、
二条へ行くと良い。ほら、急いで」

流石に榎木津の顔が引きつる。その隙に関口は帝の手から逃れた。

「あ、う、うん・・・!で、では帝、京極堂さま、失礼いたします」

慌てて荷物を背負って閨を退出する関口。

「くそっ、貴様態とだろう!?大体一週間とか嘘だろう!」

詰め寄る榎木津に

「何を言うのですか、本当ですよ。これが私の仕事だという事は貴方も良くご存知でしょうに」

しれっと黒衣の陰陽師は答える。

「さて、仕事は終わりました。私も失礼いたしますよ。読みかけの書物を全部読んでしまいたいのでね」

「嘘付け!!お前の頭ん中は泣き猿の事で一杯じゃないかッ!!」

「さて?帝のご友人の事を気に掛けるのは当然でしょうに。・・・忌明けにお会い致しましょう、帝」

地団太を踏む帝にニヤリ、と死神のような笑顔を残して陰陽師も宮中を去った。
-続-

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