平安朝百鬼夜行

第七話:乳粥と懊悩

閉じた関口の意識は、思考を放棄したまま闇の中を漂っていた。狭いのか、広いのかも分からない冷たい闇の中で、流される木の葉の様に関口は漂っていた。音も無い静寂な闇。何処までも広がる安寧の世界だ。時折意識の朧げな光が点滅する以外は何も考える事無く眠る。
しかし、其の静寂を不意に乱す朗々とした<音>が聞こえた。楽(がく=雅楽)の調べか、と僅かばかり意識が反応する。やがてそれは<人の声>だと何となく理解した。最初ははるか遠くで響いていた声は、不思議と関口の意識に寄り添うように同調し、やがて共鳴し、だんだんと響きが大きくなっていく。呪文のような、祝詞のような、長唄のような、其れは意味を成さないのかもしれないが、其の声の響きは振動し、波動となり確実に水底に眠る関口の微弱な心の波動を掴み、引き込み、引き上げていく。

──僕を揺さぶるのは、誰だ。

引き上げないで欲しいと思った。逃げようと。深く沈もうと。関口は自分を囲む振動から逃れようと意識の闇を泳いだ。

──だって、そっちは怖いんだ。──戻りたくないんだ。ここに居させて。放っておいて。

深く、波動から逃れようと意識に沈もうとした関口の手を掴む者が居る。姿は見えないが、確かに質量を感じた。あ、と思った次の瞬間にはそのまま、暖かい物が関口を覆った。誰かが自分を抱き締めているのだ。

“──怖がらないで、戻っておいで。僕が居る。”

耳元に温かい息が掛かる。音の振動が──波動が言葉に、変わった。そうだこれは人の声だ、言葉だ。誰かが呼んでいるのだ。僕をここから引きずり出そうとしているのだ。この安寧から引き離される恐怖で身を強張らせる関口をそっと暖かい物は包んでいる。

“──お願いだ、巽・・・僕を怖がらないでおくれ”

声が自分の「名」を呼ぶ。其の声は、いつか何処かで聞いた声に似ている。切なく痛みを伴う心の波動が、関口の胸に伝わって来る。否応無く、それは関口の宙(なか)に染み渡り、同調してくる。伝わる切なさに恐怖は消え、代わりに庇護心が湧き出してくる。関口は自分を呼ぶ必死で、それで居て寂しそうな響きを放っては置けなかった。

──何故・・・そんなに辛そうなの・・・?

『──お願いだ、──・・・僕を嫌いにならないでおくれ』

関口の脳裏にいつか聞いた言葉が過ぎる。

──大丈夫だよもう、僕は怖くないよ──だって君は──暖かい。

関口を包む暖かく切ない痛みを伴う波動。優しく自分を守ってくれる声。大好きだった声。誰だったのだろう。

“──僕だ。───だよ、巽。ここに、帰ってきておくれ”

──、誰、聞き取れない──君は、誰。

声の主の顔を見ようと関口は暗闇の中で目を開けた。その瞬間、彼の眼前は一面に葦の生い茂る情景へと変わる。

「──巽」

声が、直ぐ近くでする。慌てて声のする方へ顔を向けると、其処には桔梗を差し出す角髪(みずら)の───・・・。

──ぁあ──・・・きみ、だったのか

其の瞬間、脳内に閃光が走り、ぼんやりと何かに隔たられて居た声が現実の重さを持って耳を揺さぶった。

「ぁ──」

意識が急浮上し、産声のような唸り声を上げて関口は薄っすらと目を開けた。そして最初に聞いた言葉。

「お目覚めかね?関口君」

京極堂の声だ。あぁ、起きなくては。重い瞼を何とか開ける。焦点が合うと、其処には自分を見下ろす京極堂が居た。
現実に意識が切り替わった瞬間、目を閉じていた間の思考は儚くも消えてしまっていた。

「気分はどうかね?」

「うん・・・大丈夫」

──何だか懐かしい夢を見てたような、気がする。

関口は天井をぼんやりと眺めつつ思った。

「なら良かった。心配する事はない、ここは清涼殿だ」

関口の意識がきちんと戻った事を確認すると京極堂は関口から離れ、近くの火鉢の方へ移動した。関口は天井を見上げたまま自分の状況を把握しようと思考を廻らせていた。

清涼殿・・・・。言われて天井や調度品を見ると、自分の家の物ではない。
清涼殿・・・・。こんな豪奢な物は・・・・清涼殿・・・。

「清涼殿だって!?」

上半身を慌てて起こす。途端にくらり、と眩暈がする。

「うぅ」

目の前が真っ暗になる。冷や汗が噴出し、耳鳴りがする。

「ほら、急に起きるんじゃないよ。ゆっくり動き給え」

そういいつつ京極堂は背中に丸めた布団を宛がって背もたれにしてやった。

「なんで、僕は家に・・・えと、草子の絵を・・・」

「鳥口君に頼まれて様子を見に行ったら、家で君が倒れてたんでね、連れて来たんだ」

「はぁ・・・ああ、倒れてたのか・・・って、でも清涼殿って帝の!!そ、そんな簡単に・・・ッ」

「君の家じゃ碌な物が無いだろう。此処なら栄養価の高い物が手に入るからね。なあに、あの帝は君が倒れたと聞いて大喜びで自ら君をここへ担ぎこんだぞ」

陰陽師はにやりと笑う。関口は奇声を上げながら自分を担いでいる榎木津を想像し、肩をすくめた。あの帝は何故だか分らないが自分を愛玩動物のように思っている節がある。物忌に因って清涼殿から出られないから、退屈この上ないはずだ。良い玩具が転がり込んで来たと嬉々として担いで回ったに違いない。

「・・・き、気を失ってて良かったかも知れない・・・」

額の汗を拭う関口を見て面白そうに小さく笑うと京極堂は火鉢で温めていた鍋から碗にお粥を掬い関口の手に載せた。

「乳粥だ。滋養が付く、食べ給え」

「そんな・・高価なものじゃないか・・・」

「榎さんが君に食わせろとわざわざ取り寄せたんだ」

自分の為にと言われても、やはり躊躇する関口。当時は牛乳は極一部の上流貴族しか味わえぬ貴重品であったのだ。

「そうだぞ!!神の施しをありがたく受けると良い!!」

ばぁん!と御簾を蹴散らし、榎木津が乱入してくる。

「目が覚めたか眠り猿!!さあ、サルの餌付けは僕がやるのだ!!鴉は指を咥えて見ているが良い!!」

どっかりと関口の後ろに腰を下ろし、胡坐に関口を乗せるようにする。二人羽織のような格好になった。大柄な榎木津に小柄な関口は、子供のように見える。京極堂は眉間に皺を寄せたが、特に何も言わず火鉢の炭に灰を掛けた。

「ほら、あーんしなさい」

さじで牛乳粥をすくい、関口の口元へ持っていく。

「え、えぇ・・・」

「ええじゃないあーんだ」

仕方なく口を開ける。匙から牛乳粥が口へ流し込まれる。口の中に広がる、甘く優しい味。

「あ、あまい・・・」

「うふふ」

感動する関口に満足そうに笑顔になる榎木津。もう一匙、口に入れてやる。関口は抵抗無く口に流し込ませる。

「美味しい・・・美味しいです」

ほわ、と嬉しそうな表情で榎木津を見上げる。その表情を見ると、京極堂は胸が締め付けられた。だが、この分ならば関口は錯乱した事も覚えていないだろう。ひとまずは安心だ。

「だろう、たくさん食べて元気になるのだ。この僕の按摩を任せられるのは君だけなんだからな」

「・・・ぇえ」

今度は厭そうな顔になる。そんな事はお構い無しに榎木津は餌付けを続けた。

「痩せ猿を太らせて丸々お猿に育てるのダっ」

「ほら、蘇だ。これも栄養あるぞ」

袖口から紙包みを出して平げ、つまんだ固形物を口に入れてやる。蘇(そ)とは牛乳を煮詰めて作ったこれまた貴重品だ。これを気軽に堪能できるのは、帝以外ではかの藤原道長位やも知れぬ。

「う、うん。美味しいです」

「そうか、うん、たくさん食べるんだ」

牛乳粥を半分くらいでもう良いという関口を瞬時に却下し、無理やり一碗全部食べさせた。

「ご、ごちそうさま、でした・・・」

ホッとした様な表情だが、けれど嬉しいと言う気持ちが表れている。榎木津も機嫌よく、関口を抱きかかえてあやす様に前後に揺れたり、頬をつついたりしている。大の男に対する態度ではないが、榎木津と関口の体格差の所為か違和感が無かった。臆面も無く関口に触れられる榎木津に、内心羨ましさを感じながらも京極堂は関口が食べ終わった碗を取り上げて横の盆へ除けてやった。

「さあ良く寝ろ。食って寝て食って寝てまん丸お猿になるのだ!」

「それじゃ逆に病気になりますよ、適度な運動も必要です」

其処は見過ごせずぴしゃりと突っ込む京極堂。

「じゃあ按摩すれば良いのだ!それとも蹴鞠するか?」

「け、蹴鞠は結構です・・・」

関口、頭(かぶり)を振って拒否した。

「散歩で良いでしょう?ただでさえ此処はだだっ広いんですから」

「散歩か、うん、其れでも良いぞ。まあ今日は良く休むんだ」

そういって榎木津は立ち上がり、

「後は神に任せるのだ」

と関口の頭を撫で、京極堂に一瞥すると来た時と同じように御簾を蹴り上げて出て行った。

「・・・?」

関口は不思議そうに見送り、京極堂は

「やれやれ」

と肩をすくめ、関口に寝るように促した。いや、もう眠くは無いよという関口に、では寄り掛かって休むと良いと再び背もたれを作ってやり、もたれさせた。

「・・・」

関口が京極堂を見上げる。きょとんとしたような、不思議そうな表情。

「なんだい、人の顔をじっと見て。気味が悪いな」

「・・・あ、あ、ごめ・・・」

眉を顰めて言う京極堂に、慌てて俯く関口。京極堂はつい関口に対しては余計な一言を言ってしまう自分に少々自己嫌悪になる。

「別に謝る程の事じゃない。だが気になるじゃないか」

「あ、う、うん・・・。そうだよね」

そう言って、再び顔を上げる。少しその頬が赤くなっていた。

「だって、なんか・・・今日の君、優しいから」

柔らかい表情。れっきとした男の顔であるし無精髭なんぞ生えているが、童顔の大きな瞳が優しく潤んで見つめている様は可愛らしいとさえ感じてしまう不思議な顔だ。そこに重なる桔梗丸の面影。今すぐ手を伸ばして抱き締めてしまいたい。

──確かめたい。自分の勘は恐らく彼が、彼こそがと訴えてくる。だが・・・<関口の口から真実を聞きたい>のだ。

「・・・・」

「あ、あ、ごめん、悪い意味で言ったんじゃないよ、ほんと、あ、あの・・・ごめん・・・」

京極堂がそんな懊悩に囚われて居る事など知らないで無言で固まっている京極堂を怒らせたと思った関口は、泣きそうな顔になってしまった。

「どうして僕は、いつも・・・」

俯いて布団を見つめながら自己嫌悪に陥っている。京極堂は苦笑した。

「関口君」

「・・・」

「関口君。今のは、君が悪いんじゃない」

「え?」

「僕が吃驚して固まってしまっただけだ。君が優しいとか言うから、我が耳を疑ったよ。人様には親切だとか面倒見が良いとは言われた事はあるが、そんな事を言われたのは久方振りだからね、ましてやいつも僕を見て怯えている君からの言葉だ。お陰で一瞬固まってしまったよ。悪かったね関口君」

「あ、ううん、怒ってないなら、良かった・・・」

関口は顔を上げてほっとした表情を見せる。それを確認して、京極堂は密かに溜息をついた。何時もの関口に戻ったようだ。不安定な記憶の綻びも塞がっただろう。そう思いつつ、関口に質問する。

「ねえ、関口君。君は昔、吉野に居たことはあるかい?」

「・・・うぅん・・・覚えてないなあ・・・ごめんよ、僕は二年前位かな、それより以前の記憶が無くって、寺に居た事しか聞いてないんだ」

「・・・そうか、なら良いよ」

京極堂は内心、その答を聞いてそれ以上は追求しない方が良いと判断した。寺に居た事はこれで事実だと分った。本人は其処で如何していたかは覚えていないようだが、稚児時代何をさせられていたのか。関口の恐慌ぶりと、榎木津の視た記憶で大方予想は付いた。其れは京極堂にとっても認めたくない事実であり、胸を苦しませる事実だ。今の状態で寺に居た事を思い出すような事が有れば、関口はまた恐慌を来たしかねない。其れは絶対に避けたかった。

「?」

「あぁ、昔其処に住んでた事が有ってね。良い所だった、からさ」

「そうなんだ・・・良いね、思い出の場所かぁ」

優しい表情で自分を見る関口。こんな時の関口は、実に穏やかな顔を見せる。彼の穏やかな表情は、自分の心をも和ませる。この優しい時間が続くと良い、京極堂はそう思った。このまま、真実が明らかにならなかったとしても。其れはそれで良いのかも知れない。自分の感傷の為に罪も無い彼を傷つけてどうするのだ。思い出さない方が良い事だってあるのだ。

「一緒にどうかね?」

「え?」

「一緒に、吉野へ行かないか」

関口は、京極堂が何故自分を誘うのか良く分からず、奇妙な顔をしたが、自分を見つめる何時に無い切なげな表情に暫し見蕩れていた。見蕩れている内に関口の胸に、切ない痛みが走る。胸が切なさで苦しくなる。これは京極堂の傷みだ。何がそんなに哀しいのかと、京極堂に無意識に手を差し出そうとした時、

「・・・嫌、か」

京極堂が自嘲するように言う。はっとして慌ててしどろもどろになりながら返事を返した。

「う、ううん、ぼ、僕もい、行きたいよ。そ、その、つ、連れてってくれるかい?」

「嫌なら良いんだよ。無理する事はない」

「い、嫌じゃないよ、き、君が居れば道中、あ、安全だろ!ぜ、絶対連れてってくれよっ!」

耳まで真っ赤にして力を込めて言う関口を見て京極堂は可笑しそうに微笑んだ。

「ならば、吉野は春が美しい。桜が咲く頃に行こう」

「うん、桜かぁ、綺麗だろうねぇ」

関口も京極堂の笑顔に釣られるように微笑んだ。自分に向けられた其の微笑みに、十年余りの間、桔梗丸以外の者に靡く事が無かった凍りつかせた恋情が溶けて行く。

──あぁ、矢張り僕は。

「・・・あぁ、きっと、気に入るよ」

関口への想いを認めてしまいそうだった。だが今それを認めてしまったら桔梗丸への誓いを破る事になる。幼き日、自分は彼の為に生きると決めたのだ。関口が桔梗丸で無いとはっきりすればこの感情も捨てねばならぬ。京極堂は火鉢の灰を掻き回すのに託けて目を逸らした。あぁ、思考が千路に乱れる。線引きをせねば成らぬと思いつつ、吉野へ連れて行けばもしかしたら、関口が何かしら思い出すかもしれない。などと考えてしまう。期待しているのだ、関口が桔梗丸である事を。

──せめて自分が何者であったかだけで良いのだ。他の事は想い出さなくて良い、幼き日の自分との事も思い出さなくて良い、ただ君が、関口巽と名付けられる前、何と呼ばれていたか、だけで良いのだ・・・。

関口を苦しめたくないと、思い出さなくて良いと言いつつ、その半面で何とか思い出させようと画策する自分の業の深さに自嘲しつつ京極堂は、「眠くない」と言っていたのに何時の間にか転寝している関口を見て自分だけが懊悩に苦しむ遣る瀬無さに深い溜息を吐いた。
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翌日も帝の一声で絶対監禁と言われ。関口は部屋と部屋の前の廊下までしか出してもらえず、一日が過ぎ。
三日目。清涼殿では屋敷へ帰りたいと申し出た関口に榎木津が中々首を縦に振らない為に押し問答をしていた。

「もう、大丈夫です、そろそろ屋敷に帰らないと」

「ダメだ猿!まだ僕は猿按摩をしてもらっていないぞ!」

「じゃあ按摩しますから、終ったら帰ってもいいですよね?」

「別に帰らなくても良いじゃないか!君は此処に居れば良い!」

「そういう訳には行きませんよ、僕にだって僕の生活と言う物があるんです」

「猿の生活ってのは一体どんなんだッ!」

「もー、僕にだってそれなりに仕事もあるんです、それよりも帝のほうこそ仕事が溜まってるんじゃないですか?」

「猿の癖に神に説教するツモリかっ!えぇいこうしてやるッ」

榎木津が両頬をむにぃーと引っ張る。

「ほれほれ猿の頬袋だー!」

「ひゃれれふらひゃーっ!」

そんな二人の前に黒い袍(ほう)を来た陰陽師が険悪な表情で立つ。

「二人とも、朝っぱらから何やってるんですか・・・」

「飼い主と愛玩動物の愛情交換だ!!」

「止めて下さい気色悪い」

都が滅び去ったような仏頂面で見下ろす陰陽師。呪いでも掛けられはしないかと昼御座に侍っている回りの者は完全に凍りついている。

「何が気色悪いだ、羨ましい癖に」

物ともしないのは自称神、この帝だけだ。

「勝手に決めないで下さい。怒りますよ」

「怒ってみろよ」

二人の視線の中間に火花が飛び散る様であった。

「あ、あの、二人ともやめましょうよ・・・み、皆怖がってま・・・」

その二人の間に割って入る命知らずな天然男、関口。二人の視線が関口に移動する。

「・・・・ひぃッ!?」

関口はその視線に石の様に固まる。回りの者は哀れなこの男に同情を禁じえなかった。

「・・・関口君。君はそろそろ家に帰った方が良いね。鳥口君が困っている」

「う、うんうん」

蛇に睨まれた蛙の様にカクカクと首を縦に振る。

「だめだっ」

帝が関口を再び羽交い絞めにしてそれを却下する。

「いいえ、帝。貴方には、今やるべき事が有るはずでしょう?」

「戯れるのはそれが片付いてからにして下さい。貴方が言い出した事なんですから」

「・・・ふん!お前に言われなくてもちゃんとする事はしている!」

「どうだか」

陰陽師は鼻で笑う。帝はそれを無視して、関口の頬を両手で挟んだ。

「・・・按摩はお預けだ。ちゃんと食べて養生しろよ」

「は、はい」

榎木津は微笑んで、関口を解放した。じゃあな、といって奥へ入っていく。
彼の微笑には、つい見蕩れてしまう。・・・綺麗な人だなあ、と正直思う。自分がもし女ならこの貴人の側に侍られる、これほど幸せな事は無いだろうに。でも僕は男だからなぁ・・・しかも猿扱いだし・・・。複雑な思いに囚われつつ、呆けた表情で去って行く榎木津の後姿を見送っていた。

「関口君」

その思考を陰陽師の声が断ち切った。仏頂面の陰陽師は関口の顔を不機嫌そうに見て問うた。

「君は」

「え」

「ああいうのが好みなのかい?」

「・・・え?」

「えじゃないよああいう顔が好みなのかと聞いている」

「男の顔の好みを聞かれても僕も男だから何とも言えないけど、綺麗だなーって・・・ほら、僕なんかとは雲泥の差だし・・・」

関口は自嘲気味に笑う。京極堂は不機嫌そうな表情は崩さず言う。

「人はそれぞれ好みがあるからね。万人受けするような顔が良いとは限らない」

「はぁ」

「君は君でまあ味の有る顔をしているじゃないか。その猿顔のお陰で今現在の地位が有る訳だし、何が幸いするか分からないものだぜ」

「・・・褒められては居ない気がする」

「さぁね、ほら帝の気が変わらない内に早く帰り給え。鳥口君が心配している。君の為に予定を繰り上げて帰ってきて待っているんだぞ」

「あ、ああ、じゃあ帰るよ」

それを聞くと、関口は慌てて立ち上がって内裏を辞した。鳥口を早く安心させてやらねば。

「・・・・」

関口が立ち去った後、無言で、自分の頬に手を当てる。人好きのする顔ではないという自覚はある。帝には鴉と評される鋭い表情。だが、関口が自分を見る時の表情と榎木津を見る時の表情の差に嫉妬している自分に気付く。比べる事は馬鹿馬鹿しいと思っている。自分の顔も嫌いではないし、美形とは言わないまでもそう拙い顔だとも思っては居ない。他の人間に自分の顔がどう思われようが興味も無い。だが、こうもあからさまに関口が態度に差を付けていると流石に気持ちが痛む。

「・・・ふん」

眉間に皺を寄せると部屋に侍っていた者達が怯えて慌てて部屋から逃げて行った。帝も居ないのだから無理して此処に居る事も無い。とばっちりを受ける前に逃げ出したのだ。自分を見て怯える連中と関口も同じ思いなのかと思うと、少し哀しくなる京極堂だった。誰も居なくなった昼御座に一応臣下の礼をとって京極堂は残していた書類を片付ける為陰陽寮へと向かった。
-続-

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